宗教・占い霊能力オカルト手品・スポーツ・政治(選挙・投票)・宝くじに関するよくある勘違い

 

Ⅰ 宗教                ※神概念は人間の創造物(^ー^)

Ⅱ 占い・霊能力・オカルト・手品    ※殆どインチキ(゜ω゜)

Ⅲ スポーツ              ※長生きしたいなら適度に(+_+)

Ⅳ 政治(選挙・投票)         ※投票はただの自己満足(・へ・)

Ⅴ 宝くじ・ロト            ※バラも連番も確率・期待値は同じヾ(≧∀≦)

 

 

Ⅰ 宗教に関するよくある勘違い

 

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「神は実在する」

実在しない。神(完全者、絶対者、創造主)とは、この世の摂理・事象・現象の追究・理解(解明・説明)を諦め思考停止した人々が創造した空想上の概念、即ち理想像・自己投影・ファンタジー・ヒーロー・アイドル・カリスマに過ぎない

その昔、まだ人類の科学的知識が乏しかった時代に子供の質問への答えに窮した大人が辻褄合わせ他の為についた虚構・物語が、神概念の始まり。精神的に自立してない人や論理的思考ができない人ほど、神概念を妄信・依存・利用する

 

「天国や地獄や悪魔は存在する」

神と同様、概念としてしか存在しない。そう信じる人がそう教え込まれ洗脳されているだけ

 

「悪霊に憑依された人を見た。あれは演技ではない。本物だ」

ヒステリーの一種。幼い頃の辛い体験がトラウマになっている人や、普段からストレスが蓄積している人、感受性や自己顕示欲・サービス精神の高い人などの場合、その場の雰囲気や自己暗示等により無意識的に或いは故意に、演技したり(集団)ヒステリー状態を引き起こす

 

「奇跡が起きたのは神の御業」

この世に奇跡や偶然は(概念としてしか)存在せず、全て起こるべくして起こっている。奇跡や偶然は神概念同様、物事の理・必然性を理解出来ない者による言い訳・自己欺瞞

 

「全ては神の思し召し」

不遇の諦めを強いて改善意欲を削いだり己の愚行を正当化したりする為の、他力本願で幼稚な言い訳

 

「イエスは処女の母から生まれた」「釈迦は生後すぐ立ち天地を指して唯我独尊と言った」

教団による権威づけの為の脚色・肉付け・誇張されたフィクション

 

「聖書は神の言葉であり、初版以来、未だ一度も一言一句編纂されてない」

聖書は世界一の発行部数を誇るトンデモ本。一言一句人間の言葉であり、時の権力者によってその都度何度も加筆編集されている。「編纂されてない」ということにすれば信者に対して威厳が保てるので、そう主張しているだけ

 

「コーランを冒涜するのは表現の自由では無い」

冒涜や揶揄や風刺は、それが物理的に人権侵害にならない限り表現・言論の自由の範疇。冒涜者の人権を侵害することこそ、表現の自由を範疇を超える。コーランの冒涜がイスラム教徒への人権侵害になる、という解釈は感情自己責任論を理解していない者によくある被害妄想

 

「法華経より前の経文は全て方便だと書いてある。だから法華経こそが最終結論」

それ自体がそれまでに悟りを得られなかった頑固な分からず屋のための方便

 

「不幸なのは信仰心が足らないから」「信じない者は地獄に落ちる」

信者を失いたくない宗教団体の常套句。雨乞い理論と同じ錯誤

祈りは単なる思考活動なので、一時的に精神安定等は図れてもそれによって物事が都合よく好転するなどはしない。落ち着いて建設的に思考した結果、本人の行動様式等が変われば物事は変わり得るが、それは祈りが通じたのではなく「落ち着いて思慮したから起きた」こと

 

「悟りを開く事は難しい」「修業荒行を積まねば悟れない」

これも信者を繋ぎ止めておきたい宗教団体の常套句。簡単に悟られて教団を必要としなくなられては困るので、教義を殊更複雑かつ冗長的にし権威を持たせているだけ

 

「題目や念仏や祈祷には、現実を変える力がある」

呼吸を一定に保ち精神統一させ心を落ち着かせるなど、一種の自己暗示・瞑想効果によって副次的に得られる効能は期待出来る。しかし「唱えれば病気が治る」「念じれば成功する」といった因果の飛躍した非科学的事象は起こらない。題目や念仏を唱えようが唱えまいが、治る病気は治るべくして治る

 

「お経を唱えたら医者も驚くほどの回復力で病気が治った」

医者の勉強不足か思い込みによる結果論。医者が余命を短めに宣告するのは「予定より短かった場合に文句を言われるリスクを避け」「長生きした場合に患者に感謝される」ための一石二鳥のリップサービス

 

「人は誰でも何らかの宗教を信仰すべき」

宗教を必要とするのは、自学自習で視野を広めることや悟りを開くことを諦めた無知で怠惰で多忙で他力本願な人々のみ。宗教とは、手っ取り早く自信とアイデンティティを確立するための原始的な現実逃避用の実践哲学に過ぎない

 

「宗教の目的は人々の幸福の実現」

正確には「無知で怠惰で多忙な人々の幸福の実現」。「組織の維持・拡大、信者の獲得」もまた目的の一つ(手段の目的化)

 

「宗教があるから戦争が起きる。宗教は害悪」

宗教はただの概念・道具。あらゆる概念・道具と同様、それをどう使うかは使う側・解釈する側の問題。宗教はテロや戦争の原因ではない(論拠詳細は別記「戦争に関するよくある勘違い」を参照)。宗教は寧ろ心の平安を齎し戦争トラブル等の回避に役立っている。心の貧しい(精神的に未熟で十分な教育を受けていない)者が、自己正当化のために宗教を利用しているだけ

 

「宗教は麻薬」

薬になるか毒になるかは使い方による。そう主張する共産主義もまた広義では宗教の一種

 

「世界貿易センタービル跡地の近くにモスクを作るべきではない」

テロリストは、イスラム教原理主義を自分たちの都合のいいように解釈し正当化の為に利用している。宗教はテロや戦争の原因ではない(真因は低水準教育)。一般のイスラム教徒とテロリストを同一視すること自体が、森を見て木を判断した感情論

 

「顔が判別しにくくなるブルカ等を規制すべきだ」

誰がいつどんな格好をするかは個人の信教・表現の自由。素っ裸で歩くのも自由。不快に感じるのは不快になる側の問題であり、相手のせいにするのはお門違い(別記「感情自己責任論」参照)

 

「悪臭で不快になるのは当人の自己責任なら、電車内でウンコするのも表現の自由」

「嗅いだ事による精神的苦痛」は自己責任。しかし「嗅ぐ事による肉体的苦痛から逃れる自由」が侵害され得るので、ウンコする自由は規制される

 

 

 

Ⅱ 占い・霊能力・オカルト・手品に関するよくある勘違い

 

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「血液型によって人の性格は変わる」

変わらない。そもそもABO方式だけが血液型ではない

 

「魚座のアナタの今日のラッキーナンバーは5♪」

根拠が無い

 

「名前の画数でその人の運命が」

決まらない

 

「丙午生まれの女性は気性が荒い」

迷信

 

「こういう手相の人は金が溜まる長生きする何歳で結婚する病気になる」

全てこじ付け

 

「こういう人相の人は金が溜まる長生きする何歳で結婚する」

他人に対して安心感を与える顔や不安を与える顔があり、それによって「一時の気分で態度を変える、精神的に未熟な人々からの接遇」に差があるのは事実。そのような人々が周囲に多ければ多いほどその顔の主の人格形成に影響を及ぼし、その結果行動様式が変化することは考えられる

しかし眉の形やホクロの位置などとの因果は科学的に証明されていない

 

「風水」

科学的根拠は殆どない

 

「タロット占い、コーヒー占い、花占い」

占う者が、自身の経験からくる個人的主観を反映・投影しているだけ

 

「とある有名な占い師は初めて会う人の過去をズバズバ当てた」

本人やブレイン(スタッフ)が事前に興信所や週刊誌や盗聴器等で情報収集した資料を読んでいる(ホットリーディング)。人間観察眼を鍛えれば、態度や仕草やファッションや表情等でその人の考えなどはある程度推測できる(コールドリーディング)

 

「とある超能力者は超能力で全国の壊れた時計を動かした」

全国規模でやれば、中には手に持った際の衝撃や熱で多少動き出す時計もある。行動心理学上、動いた場合だけ印象に残りやすく噂も広がりやすくなる。彼は集団心理を利用しただけ

 

「スプーン曲げ」

100通り以上のタネや、力を入れていないように見せるコツがある。不思議に感じる人は単に知識が無いだけ

 

「壁からハンバーガーが出てきた」

そう見えるように作られたボードを使っている

 

「お札が空中に浮いた」

細く丈夫で透明な糸が開発済み

 

「すぐ傍で見ているのに分からない」

観覧者の思い込みと演者の猛練習の賜物

 

「壺(印鑑、御守、墓、etc)を買わなければ幸せになれない」「水子供養しないから子供ができない」

そのように洗脳し(され)ようとしているだけ。真に受けている人は精神的に弱っている証拠

 

「墓参りに行かないから子供が非行に走る」

子供が非行に走るのはひとえに「親が精神的に未熟(視野が狭い、学が無い、偏見持ち、我儘、内弁慶、過保護・過干渉又は無関心放任主義、児童心理に疎い等)だから」である。墓参りしたところで解決はしない

普段先祖供養しない者が突然すれば多少の心境の変化の影響はあるかも知れないが、根が未熟なままならどれほど熱心に供養したところで子供は立ち直らない

「墓参りをしないことを先祖が恨み、そのために家庭に不幸を齎している」という発想自体が先祖に無礼。「己の怠惰、傲慢」などの真の原因を見たくない(反省せずに済ませたい)が為の典型的な責任転嫁

 

「催眠術」

集団心理を利用したパフォーマンス。依存度が高くオープンマインドでサービス精神の旺盛な者ほど掛かりやすい

 

「催眠術で味覚が変わる」

自己暗示によって脳が錯覚を起こすことはある。ショック状態になると味覚等が麻痺するのもその一例

 

「チャネリング」「イタコ」

自己暗示等によって別人格になりきっている。演技力を身に付ければ誰でもできる

 

「とある宗教家は、昔の有名人を降霊して話すことができる」

伝記等を読み漁って本人に成り切って如何にも言いそうなセリフを吐くことは、演技の上手い者なら幾らでも可能。騙されるのは、ピュアで情報リテラシーに疎く集団催眠に掛かり易い世間知らずなお人好しだけ

 

「美輪明宏は前世が天草四郎だったと複数の霊能力者に言われた」

「長崎出身の美形」という共通イメージから想起した一種のリップサービス

 

「輪廻転生」

辛い現世から現実逃避するために編み出したフィクション・ファンタジー

 

「チベット仏教のダライ=ラマは輪廻転生している」

そのように権威付けすることで信者を獲得している。科学的根拠なく子供を誘拐して教育し、法王に仕立て上げているのがその実態。14世自身もその世襲制度のあり方には懐疑的

 

「前世の記憶を持つ子供がいる」

前世を信じ世間にも前世を信じさせたいと願い、且つ「特別な能力を持った子の親」として世間から認知されることによって自己存在価値を確認したい親が、独自に過去を調べ如何にも前世の記憶を持っているかのように子供に吹き込んだ可能性が大

子供が成長するにつれて前世の記憶を言わなくなるのは、成長に伴い自我が芽生え親の洗脳が働かなくなった事や、親自身が一定以上の注目を浴びたことで自己顕示願望が満たされ精神的に落ち着いた事などが考えられる

 

「多重人格は全て演技」

中には詐病者もいるが、科学的検証を重ねて解離性同一性障害という病状として認定されている

 

「心霊写真、UFO、UMA・・・」

心霊写真は人類がカメラを発明した直後から作られており、今や素人が幾らでも製作できる時代。それらを話題にすることによって最も儲かるのはマスコミ界。大きな事件や事故がない平和な時期になると、オカルトがブームになりやすい。但し、論理的には「全て捏造可能≠全て捏造」である

 

「アポロ月面着陸捏造説、ユダヤ人陰謀説、フリーメーソン・・・」

騒ぐほど儲かるマスコミが作ったネタ。中途半端な自己肯定感と知識のある者ほど、誰も知らない裏社会を知っているという優越感を刺激され感化されやすい

 

「UFOにさらわれた人がいる」

と思い込むことで自分を特別視したい(されたい)人もいる。記憶が仮に本物だとしても、幼児期の虐待のトラウマのフラッシュバックの可能性も大

 

「掌にキリストと同じ傷跡が」

強烈な信仰心から無意識のうちに自分で傷付けている可能性大。「周囲から特別視されたい」「己の信仰心の強さをアピールしたい」「奇跡を起こして周囲の人々の信仰心を呼び戻し社会を正したい」「神に近付きたい」等の歪んだヒーロー願望の表れ。日頃から真面目で大人しく目立たない信者に多いので、周囲も「まさかあの人が虚言を発するわけがない」と考えがち

 

「妖精を写真に撮り本を出版した姉妹がいる」

その後、当事者が作り物だと告白している

 

「ミステリーサークル」「ネッシー」

その後、当事者が作り物だと告白している

 

「河童のミイラ」

江戸時代のオカルトブームに乗じて金儲けを企んだ見世物小屋経営者らによる製作物

 

「ツチノコ」

小動物や複数の卵を食べたばかりの蛇

 

「スカイフィッシュ」

カメラの性能の限界により生じるコバエ等の残像

 

「結局のところ宇宙人はいない」

地球人も宇宙人のうち。つまり誰もが既に毎日のように宇宙人に出会っている。わざわざ他の星のエイリアンを探そうとするのは、自分の日常を当たり前だと思い込み過ぎている証拠

 

「全ての霊能力、超能力、超常現象はイカサマ」

現代科学では説明のつかない現象は存在し、実際に様々な難事件・難問を解決している。仮に99.99%が偽物であっても、「残りの0.01%も偽物」とは言えない。人間に観測可能な範囲がこの世の全てではない

 

 

 

 

Ⅲ スポーツに関するよくある勘違い

 

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「スポーツは健康にいい」

軽度な運動であっても、呼吸/動悸を多くすればするほど活性酸素が全身に行き渡り、各種器官を酷使し関節を摩耗し代謝を促進、それだけ細胞分裂・老化を早め寿命を縮める

ランナーズハイは脳内麻薬中毒の一種。それを得ようと肉体を酷使すれば骨はスカスカ血管はボロボロになり、口呼吸が多ければ気管支に害を齎す。筋肉痛も健康被害のうち。最も健康に良いのは「無理な運動をしないこと」である

 

「身体能力が高い状態が健康。低い状態は不健康」

健康と不健康は相対的なもので、明確な境界線はない。身体機能は日頃の活動で自然と必要な分だけ鍛えられるので、強いて鍛錬しなくても日常生活を送る上では問題ない。身体能力が平均以下であっても支障がなければ、不健康とは言わない。寧ろ、必要以上の高望みこそ精神的不健康の表れ

身体的能力か寿命か、いずれをどの程度取るかは個人の人生設計次第

 

「スポーツは国民の健康を促進し、結果的に保健福祉予算の軽減に寄与する」

適度な運動は別として、競争を前提とした激しく危険な運動は怪我や後遺症の確率を高め、却って医療福祉費の増大を招く

 

「スポーツをするとストレス解消できる」

アルコール摂取やサウナ等と同様、解消した気分になるだけで、肉体的疲労度は増している。一時的に現実逃避できたとしてもストレスの根本原因(それを感じる者の精神的未熟)が変わらなければ、真の解決にはなっていない

 

「幾つかのスポーツではなく、一つのスポーツを極めるべき」

何かを得ればその分、何かを失う。特定のスポーツにばかり時間を割くと、そのスポーツに関する知識以外に無知な専門バカになる。全機能的・全人格的な発育を期すならば、様々なスポーツを嗜む機会を与える方が良い

 

「スポーツをする以上勝たなければ意味が無い」「一番でなければ価値が無い」「金メダル以外はメダルではない」

勝つことのみを至上命題にするのは洗脳や思い込みによる視野狭窄であり一種の宗教。「楽しむこと」を目的にすることもできる。No.1への執着は、裏を返せば「No.1以外への蔑視」即ち差別心に他ならない

 

「メダルを多く取るために、メダリストに多額の褒賞を与えるべき」

自信のない者ほど己の帰属集団の威信に依存する。涵養すべきは偏狂的なナショナリズムよりも、どの国の選手も分け隔てなく応援しようとするグローバリズムとオリンピック精神に根差した真のスポーツマンシップ

 

「己の限界を知るべき」「ある程度厳しい鍛錬をしなければ、どれくらい潜在能力があるか分からない」

鍛錬しなくても「どれほど運動すればどの程度身体能力が高まるか」という個々人の「潜在能力そのもの」「能力の限界点」は変わらない。それを見通す先見力・着眼力を養えば、わざわざ顕在化させ確認する必要も無い

 

「子供の体力が落ちているのは由々しき事態」

「体力を付けなければ」は一種の強迫観念。不必要な運動をしないから落ちているだけで、体格や潜在能力は昔に比べ寧ろ高まっている

仮に今よりも5cm高く跳べたり5m遠く投げられるようになったりしたところで、生活上のメリットは殆どない。本当に伸ばすべき能力は他にあり、それをおざなりにするからこそ「己の強迫観念にすら無自覚な由々しき人間」が増える

 

「運動能力の高い自分が好き」「肉体美の自分が好き」「色黒でなければ自分ではない」

身体能力の低い状態の自分を愛せないのは、内心で「身体能力の低い者を軽蔑している」証拠。身体を必要以上に鍛えたがるのも、こうした身体コンプレックス(裏を返せば差別心)の表れであり、その拘りは一種の強迫観念症(身体醜形障害)、つまり心の病気

 

「スポーツでなければ連帯感、責任感、忍耐力、協調性、仲間意識を育むことができない」

スポーツが唯一の手段ではなく、スポーツでなければならない理由はない

 

「スポーツでなければ地域振興・世界平和に貢献できない」

スポーツでなくてもできる。以下同上。教育水準が低ければ、”サッカー戦争”のようにスポーツを通じて却って敵対心が高じ戦争になることもある

 

「プロレスや相撲はスポーツではなく余興・見世物、競馬・競輪・競艇は賭博、釣りは趣味」

定義上いずれもスポーツであり、どんなスポーツも趣味や余興・見世物・賭博になり得る

 

「マイナーなスポーツに資金が足りないのは不平等」「国は満遍なく援助すべき」

どのスポーツに価値を見出すかは人々の好み・価値観で決まるので、人気度に比例して資金に差があるのはある意味平等。自己満足でやっているのに国庫を当てにする方がおかしい。有能なら応援する人も増え、自然とスポンサーが付く

 

「スポーツで上達するために体罰は必要」

不要。無能な指導者に多い勘違い。詳細は別記「体罰に関するよくある勘違い」参照

 

「練習中に水分補給させると根性が付かないから我慢させるべき」

熱中症の危険性が高まる。このような時代錯誤な根性論は無視して良い

 

「足腰を強くするにはうさぎ跳びが一番」

効果が少なく、却って膝関節を損傷する危険性が高い事が医学的に指摘されている。足腰を強くするには、このような脳筋を指導者にしないのが一番

 

「縦社会で揉まれ理不尽な命令にも絶対服従すれば、忍耐力が付き社会性・協調性を養える」

社会性・協調性を養うにはその方法でなければならない、ということはない。却ってブラック企業などにとって都合のいい、命令に盲従するイエスマンが育つ

 

「一部のスポーツ選手は年俸を貰い過ぎ」

一流選手の場合、熱狂的なファン等に対して相応の感動や興奮や生き甲斐・幸福な時間・夢や希望・話のネタを与えているので、それ相応の収入に繋がる。従って人々が例えば「他人より早い球を正確に投げる能力」にさほど意味や価値を見出さなくなれば、それなりの収入になる。貰い過ぎだと思う人は、目に見えないエネルギーの遣り取りの収支バランスを読み取る想像力に欠けている

 

「一部のスポーツ選手は税金を払い過ぎ」

それだけ稼げるのは才能や環境に恵まれた結果であり幸運によるものなので、社会に還元して当然。努力も才能のうち

 

「スポーツは宗教ではない」

構造上は宗教と同じ。建物(競技場)・教義(ルール)があり崇拝の対象(選手)とその信者(ファン)がいて、布施(会費・入場料)を徴収し常に組織拡大のための布教(宣伝広告)が為されている。ファン心理やその精神構造も、宗教信者と同じ

 

「大相撲の八百長が発覚。裏切られた気分だ」

一部の力士が客を喜ばせるために人気者を勝たせたり互いに怪我をしないよう手加減したりしていることは昔から公然の秘密であり、「真剣勝負だと思ってたのに」等と騒ぐ者自身が世間知らずなだけ。「公正なスポーツであるべき」と勝手に思い込むから裏切られたと感じる。自業自得

 

「これだけスポーツをバカにするこのサイト主は、スポーツにコンプレックスがあるに違いない」

そう思う主張者が「十分な論理的思考力と自己客観視能力があれば、スポーツに一切コンプレックスがなくともこうした発想に至り得る」ということを想像できないだけ。「自分なら余程コンプレックスがなければここまでスポーツを貶めない」という発想自体がスポーツに対する憧憬(これもコンプレックスの一種)の裏返し。即ち自己投影

 

 

 

 

Ⅳ 政治(投票・選挙)に関するよくある勘違い

 

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「投票は国民の義務」

義務ではなく権利。少なくとも日本は義務投票制ではない

 

「投票に行かないなら政治に文句を言うな」

投票に行く権利と政治に口を出す権利は別物。行使するしないは権利者の自由。納税義務を果たしていなくても、批判非難は表現・言論の自由

 

「棄権は有権者の意思表示にならない」

次のような考えで棄権することも全て意思表示のうち。「応援したい候補者がいない」「他の有権者の判断・選択に任せる」「己の一票で当落結果が変わる確率は限りなく0なので合理的に考えて投票は無駄」「投票よりも寄付・献金や労力・ボランティアで応援したい」「政治に興味がない」

 

「一票を投じる行為には価値(意味)がある」

どの候補に一票を足し引きしても、ほぼ全てのケースで当落結果に変化をもたらさない。つまりその一票があってもなくても結果は変わらない。変わり得るのは同点や一点差の場合のみだが、確率的に極めて稀

意味があるとすれば投票者が「政治に参加した自己満足」を得られる程度のもの。勿論「選挙の時だけ参加した気になる、お任せ民主主義」は成熟した有権者の姿勢ではない

 

「投票率が下がることは憂うべきこと」「投票率が下がると不利(有利)」

国民の生活満足度が低く政情不安な国家ほど、立候補者多くなり投票率は高くなる。国政に対する国民の満足度が上がれば、立候補者は減り投票率は下がる。つまり投票率は幸福度に反比例するバロメータの一つであり、低下を憂うのは偽善の典型

下がると問題なのは、行政上のミスや制度上の未整備等によって意思はあるのに投票できないようなケース

「投票率下がれば不利」は、支持基盤が弱く「普段は政治に関心の薄い浮動票」を宛てにしている陣営が多用する言訳・予防線

 

「投票率はなるべく上げるべき」「当たり券付き整理券にすべき」

結果に過ぎない投票率を目的化するのは本末転倒。投票を簡便化(投票の仕組みを複雑化)したり餌で釣ったりすると、不正を誘発したり元々あまり関心や情熱が無い動機不純な者まで安易に投票するようになるので「政治の質」が落ちる

 

「悪政が蔓延るのは投票率が低いから」

論点すり替え。政治が悪くなるのは、投票率ではなく民度が低いから。実際には民度が高くなり政情が安定すれば、投票率は低くなる

 

「投票率が下がると組織票が強くなり、政治の質が落ちる」

組織に属さない者の意見が通りにくくなるが、それを以て必ず悪くなるとは限らない。寧ろ「自分の意見が通れば政治が良くなり、通らなければ悪くなる」という独善的発想しかできない者の票が多い方が、政治は悪化する

 

「投票に行かないということは与党を利するに等しい」

野党支持者に多い勘違い。どちらを利するかは結果論。それまでの与党の政策に特に異論がない場合は、投票をするインセンティブは当然失われるが、それも含めて投票率を下げる(国民の不満を減らす)のが政治の仕事

 

「圧力団体の組織票は悪」

彼らは悪ではなく、単に不幸なのである。組織に与しない(特に無党派層の)人々にとって組織票は得体の知れない頑固で厄介な固定票に見えるが、自分たちの置かれている境遇に不平不満のある弱い立場だからこそ、人々は徒党を組む

彼らが不幸である証拠に、組織票の多くは宗教が基盤。元より幸福な人は宗教や政治に依存しない

不幸な人々の要望する政策が実現され彼らの欲求が満たされれば、彼らの幸福度が増し組織票は自ずと拡散し消滅する。近年の無党派層の増加はその表れ

 

「組織票は自分たちのエゴしか考えない」

彼らがそれだけ不幸である証拠。不幸者ほど自己中になるのは自然。「相手がエゴいから自分もエゴく行く」という人もまた不幸者

不幸な人が幸福追求の一手段を政治に求めるのは当然の権利であり自由。彼らの生活満足度が向上すれば、エゴを軸に投票する人は必然的に減る

一方、彼らのエゴに対して己のエゴで対抗するなら、彼らはなかなか幸福になれず、結果、組織票は長々と存在し続けることになる

 

「政治は国民の唯一の幸福追求の手段」

幸福追求の手段は様々。政治は一手段に過ぎない

 

「投票権を行使しないと、選挙に掛かる費用が無駄になる」

確かにコスト上は無駄が発生する(印刷代、郵送費などで一人当たり約600円)が、その費用は印刷屋や配達人の生活費になるので無駄とも言えない。結果的に死票や無効票になることもまた無駄であることに変わりはない。より有意義な生産活動を犠牲にする「投票行為」もまた、無駄に無駄を重ねるようなもの

 

「誰でも平等に一票を持つのが正しい」

政治的知識が有る人も無い人も、真面目な人も不真面目な人も、利己的な人も利他的な人も、とかく猫も杓子も一票という現行制度は、悪平等の典型

如何なる状況下でも民主主義が最適とは限らない。投票行為には大衆の感情が反映されるので、仮に民度(知的水準、教育水準)の低い国で無理に普通選挙制を導入しても、一時的にせよ衆愚政治や独裁に成り下がるのは歴史が証明

 

「外国人に参政権を与えるべきではない」

多様な価値観を柔軟に政治に反映させ、より多くの人が生きやすい社会を目指すのは正しい。国籍など身分や肩書きに拘る貧相な排他的形式主義的発想は、社会を硬直化・脆弱化させるだけ。多様化への抵抗は適応力が欠けている証拠

 

「女性議員の割合を高めるべき」

そもそも議員(特定の職業)を性別で分けて見ることや、その職に従事したい人の数などを考慮せずに、ただ割合を高めようとすることこそ、本末転倒な逆差別であり行き過ぎた平等主義・悪平等

 

「奇人変人が当選するのは民度が低い証拠」

確かに政情不安や政治不信が高まれば高まるほど泡沫候補は乱立するが、従前埋もれていたマイノリティの意見を許容できるなら、それは寧ろ社会成熟、即ち民度が高まった証拠。少数派の奇抜な哲学を容認できないことこそ民度が低い。政治家になるのも社会勉強。奇人変人を当選させたくないなら、議員定数を減らせば良い。定数削減できないのは民度が低い

 

「選挙結果や予算配分に納得がいかない」「日本の有権者は馬鹿」

と主張する者の発想が時代遅れか時代を先取りし過ぎているか、或いは視野狭窄になっているか政治力学に疎くアンバランスで思想が現在の日本人の総意と乖離しているため、社会情勢を読めていない証拠。有権者に対する評価は評価者の自己投影

 

「大衆迎合主義だ。ポピュリズムだ」

民主制は本質的に人気商売・大衆迎合。この手の批判は、多数派の支持を得られない者による負け犬の遠吠え

 

「政治は宗教ではない」

政治もスポーツもコンサートもギャンブルもゲームも映画も本も、それに熱狂・陶酔する人々の心理状態は宗教信者と同じ。洗脳されている自覚がないとしたら、それだけ洗脳状態が深い証拠

 

「ねじれ国会で法案が通らない、何も決まらない」

ねじれていても良法は通り、悪法ほど通らなくなるので寧ろ健全。「何も決まらない」は政治リテラシーの低い者に多い白黒思考

 

「若者が投票しないと高齢者ばかり優遇される政治が行われる」

現時点では高齢化社会に制度が十分対応できていないので、高齢者世代の将来への不安・不満も高くなり、結果、投票率も高まる。その意見を今のうちに反映させ対策を推進した方が、後々の若者世代のためにもなる。そもそも現代社会の諸々の利便性や快適さは、それまでの不遇・不便な時代を耐え抜いてきた現高齢者の努力の賜物。彼らに向けるべきは敵視ではなく感謝

 

「若者が政治に無関心な理由は政治への不信感が強いからだ。政治家の責任もある」

そう主張する者の自己投影。歴史的には現在ほど種々のインフラが整備され物質・食糧・娯楽・人生の選択肢が豊富な恵まれた時代はなく、現に種々のアンケートが示す通り若者世代は幸福度が高い。政治に無関心で居られるのは、政治家の責任云々どころか「それまでの政治が上手く機能してきた」ことの表れ

 

「リベラルは矛盾だらけだ。だから選挙で勝てない」

実際には理性より感情を優先する保守の方が矛盾が多いが、有権者に人を見る目が無く偽善を見抜けないので、保守政治家が当選し易くなる。リベラルの思想を理解できるのは専ら高IQ高EQの人々のみ。彼らは少数派だが、自活力がありそれなりに幸福で政治依存が低いので投票意欲も低い。だからリベラルは選挙に勝てない。

 

 

 

 

Ⅴ 宝くじ・ロトに関するよくある勘違い

 

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「宝くじなんて当たる訳ない。金をドブに捨てるようなもの」

10枚買えば必ず末等が1枚当たる。収益金は自治体の公共事業等に充てられるなどして活かされるため、ドブに捨てる事と同じにはならない

 

「1番売り場は当たる」「いろんな売り場で買う方が当たる」「よく売れている売り場で買う方が当たる」「当たりやすい方角がある」「綺麗なおねいさまの売り場ならあたr」

どの売り場で買っても、買う枚数が同じなら当たる確率は同じ

 

「仏滅に買うよりも大安吉日に買う方があた」

いつ買っても以下同文

 

「金色の財布に入れておくとあt」

どう保管しようと以下同文

 

「当たりやすい星座やイニシャルや性別や誕生日や年齢や血液型が」

ただの結果論。誰が買おうが以下同文

 

「バラだと1等が当たっても前後賞が付かないので、連番の方が高額当選が期待出来る」

前後賞が付くのは「当選番号が結果的に連番で売られていた場合」の話。「当選番号が連番で売られていたかバラで売られていたか」は結果が出るまで分からない。「前後賞が当たる確率・期待値」はバラも連番も同じ。なお「前後賞と1等賞が”ともに”当たる確率・期待値」は、バラを買えば当然下がる

 

「バラだと1等が複数当たる可能性もあるので、バラの方が高額当選が期待出来る」

「バラの方が複数当たる確率が高い」と感じるのは、漠然と「当選番号が隣り合う確率は低そう」と思っているために起こる錯覚。実際には「当選番号が互いにn番だけずれる確率」はnの大小によらず全て等しい

なおルール上は、仮に1等の当選番号が隣り合っても(n=1)抽選のやり直しは行われない。やり直すのは完全に一致した(n=0)場合のみ

 

「ロト6では偶数と奇数が3つずつの組合せが一番多い。だから偶数奇数を各々3個選んだ方が当たる」

元々偶数と奇数がほぼ同数あるために結果的にそうなるだけで、実際には何番を選んでも当たる確率は同じ。逆にこうしたオーソドックスな組合せだと、頭数が増える分その分配金額は少なくなる

 

「ミニロトでは1番台と10番台と20番台がバランス良くバラけている組合せが一番当たっている。だから万遍なく選んだ方が当たる」

元々それぞれが同数あるために結果的に以下同文

 

「ロトでは出やすい番号がある」

気のせい。今まで出てなかったからという理由で出る確率が高くなるなどということはない。ギャンブラーの誤謬

 

「買い続ければ買い続けるほど、当たる確率は高くなる」

どの回も確率はそれぞれ決まっていて回毎にチャラになるので、「買い続ければ確率が高まる」ことはない。勿論、一生に1回だけ買うよりは100回買う方が、チャンスも出費も100倍になる

 

 

「検討中考案中調査中勉強中休憩中企画中考え中検索中勘案中募集中待機中」

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