いじめ等の人権侵害に関するよくある勘違い

※本頁の主旨はいじめを含むあらゆる人権侵害行為に当て嵌まります(嫌がらせ・ハラスメント・差別・虐待・DV・暴言・暴力・犯罪・テロ・殺人・死刑・戦争e.t.c.)

 1)いじめの原因                   ※行為の原因は常に100%行為者にある(・o・)

 2)いじめの対処法                  ※被害者を助けたら一件落着、は偽善վ'ᴗ' ի

 3)いじめの定義                   ※苦痛が発生していなくてもいじめはいじめ(^0^)

 4)読む前・読んだ後にチェック〜心理テスト〜     ※まずは自分を知るべし(・θ・)

 5)いじめカウンセリング事例(子供編)        ※加害者が子供の場合の想定問答(u_u)

 6)いじめカウンセリング事例(大人編)        ※加害者が大人の場合の想定問答(r_;)

 

 

1)いじめの原因

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「いじめられる側にもいじめの原因がある」

原因の追究を途中で止めた時に陥る典型的な錯誤。被害者側にどれほど酷い非や落ち度や欠陥や欠点や問題があろうと、数ある選択肢の中からいじめるという行動を選択したのは行為者自身。行為者がその行為以外の対処さえすれば、いじめという名の人権侵害は発生しない。

いじめの原因は、加害者側の慈愛心(包容力、想像力、表現力、忍耐力、思いやり)の欠如、即ち「行為者の心(の狭さ)」にある。相手の非を理由に己の行為を正当化する心の弱さ・貧しさが、その行為の原因。

被行為者に己の行為の原因を転嫁するのは行為者の甘え。これはいじめ・嫌がらせ・差別だけではなくあらゆる人権侵害にも言える。但し、行為が思考(解釈、期待、信頼、妄想等)に留まっている限りは思想・信条・内心の自由の範疇。

 

「被害者側がいじめられるようなことをしたのが、いじめの原因」

「いじめの原因」と「いじめ以前に起きた別の事象の原因」とを混同している。AがBに悪口を言いそれを理由にBがAを虐めた場合、悪口の原因は100%Aにあり、虐めの原因は100%Bにある。悪口は悪口。苛めは苛め。因果を分けて考えないから原因が曖昧なまま話が進み、互いに責任の擦り付けに終始する。

 

「悪口がきっかけで虐めが始まったのだから、先に悪口を言った者にも虐めの原因がある」

「虐める理由」(主観)を「虐めの原因」(客観)に摩り替えている。悪口は「虐めて良い免罪符」ではない。実際、悪口を言われても虐めないのが圧倒的多数。相手の言動を口実に己の言動を正当化する側に、行為の原因がある。

 

「Aが悪口を言わなかったらAは虐められてない。これはAに虐めの原因がある証拠」

悪口を言われれば虐める権利が自然発生する訳ではない。誰が何をしたら虐めるかの判断は、虐める側が己の意思で決めている。意思決定の原因は意思決定者にある。

 

「暴言は言葉の暴力。暴力には暴力で返すのが筋」

必ず返さなければならないルールなどない。百歩譲っても暴言には暴言で返すのが筋。

 

「Aの態度がBを不愉快にさせたのが原因だから、Aの態度も虐めの原因」

不快感や不満の原因はそれを感じる者自身にある(論拠は感情自己責任論)。Bが不愉快になったのはBの自業自得・自己責任。Aのせいにするのは御門違い。

 

「相手に不快感を与えたのだから、虐められても仕方がない」

不快感の原因はそれを感じる各人の固定観念であり自己責任。他人のせいにするのは筋違い(虐められた不快感も同様)。

 

「クラスの殆どから苛められるのは、苛められる側に原因がある証拠」

40人中40人が苛めていたとしたら、その40人一人一人に原因がある。40人が40億人でも同じ。物事の因果・善悪は数の多少で決まらない。

 

「学校を何度変わっても虐められるのは、虐められる側に原因がある証拠」

この場合、真の原因は「どの学校にも、柔軟性・共感性に欠け多様性に不寛容で自己表現の拙い未熟者(虐めっ子)がいる事」である。

 

「虐められる側が変わったら虐めが止んだ。これは虐められる側に原因があった証拠」

本当の原因は「虐める側に動機・口実がなくなったこと」。表面的な事象のみで理解したつもりになるのは、「雨乞いしたら雨が降った。雨が降ったのは雨乞いしたからだ」と同レベルの論理飛躍、前後即因果の誤謬。

 

「殆どの場合どちらにも非があるのだから、いじめの原因は加害者・被害者の双方にある」

非は原因ではない。如何に非や欠陥や落ち度があってもそれは「いじめて良い理由」にはならない。それを「いじめて良い理由」と見做しているのは加害者側。つまり「いじめの原因」はその行為者である加害者にある。

 

「いじめられる人はいじめられる要素を持ってるからいじめられる」

何が「いじめられる要素」かは個人の主観であり行為者側が決めているので、「いじめる人はいじめる要素を持っているからいじめる」が正しい。

 

「雉も鳴かずば撃たれまい(諺)」

銃も持たずば撃てまい。

 

「いじめ加害者は心の病気、という表現は人格攻撃になるので止めるべき」

言葉狩り。人格攻撃になるか否かは使い方次第。子供は誰しも脳が未発達で、その共感力・先見性・自制心・問題解決力の低さは、広義の適応不全・適応障害・発達障害・コミュニケーション障害と見做すことができる。言わばその障害を克服する訓練が教育。

 

「警察庁が公表している調査結果でも、”相手が自分より弱いから”など様々なことがいじめの原因・動機とされている。よって被害者が弱いこともいじめの原因。国が言っているのだから正しい」

同じ原因は常に同じ結果を生む。時に結果が異なるなら、それは原因ではなく主観的な理由・口実・言訳・根拠・条件・切欠・動機。従って、正しくは「いじめの原因・動機」ではなく「いじめの理由・動機」。いじめの原因は常に「加害者の精神的未熟・低い問題解決力」。調査した警察庁職員が、因果や言葉を正しく理解できていないだけ。役人も人の子なのでミスはする。

 

「泥棒に入られたのは不用心だから。痴漢にあうのは隙があるから。だから苛められたのは落ち度があるから」

「鍵を掛けて無い=自由に家宅侵入してOK」「露出が多い=痴漢OK」ではない。同様に「落ち度がある=苛めてOK」ではない。いずれも物事を己に都合良く解釈して正当化している加害者に、落ち度がある。

 

「虐められて当然のことをしたのだから、虐められて当然」

トートロジー(同語反復)なので説得力が無い。何が「虐められて当然のこと」なのかを判断しているのは、個々人の主観。「客観的に誰が見ても虐められて当然な事態」はこの世にはない。仮に虐める事に客観的正当性があるとしても、それを理由に虐めるかどうかを決めているのは虐める側の主観。

現実には虐め以外の対処法を知っていて虐めない者が大多数であり、虐めを正当化するのは感情に自己責任の取れない一部の未熟者だけ。なお「虐め」を「死刑」に変えても同じことが言える。

 

「いじめられて嫌なら嫌と断れば良い。断らないor断り方が下手だからいじめられる」

いじめは相手が嫌がることをするのが目的なので、断ると「効果が出てる」と分かり却って長引くことが多い。能力には個人差があり出来ない子がいて当たり前であり、断る交渉力・決断力を全ての子供に期待する方が間違い。そもそも断って解決するくらいなら、いじめではなく一過性の嫌がらせ。

 

「何も対処しないからいじめられ続ける。対処しない方が悪い」

「加害者側がいじめ以外の対処法を学ばないからいじめ続ける」が正しい。被害者側が文字通り「何も対処しない」ということは殆どなく、個人は出来る範囲内でやれることをやっている。しかし誰しも能力には限界があるので、例えそれが功奏しなくてもいじめられ続けて良い理由にはならない。

 

「協調性が無く性格が悪いからいじめられる。相手を批判する前に自分を直すべき」

協調性が無く性格が悪いのは、当のいじめる側。協調性のある子供はいじめない。つまり「協調性がない」と感じるのは自己投影に他ならない。被害者ではなく加害者の協調性の無さ・性格の歪みに着目すべき。

 

「加害者もまた能力の限界があるのだから、いじめ続けるのは仕方ない」

被害者が「現在していない行動をする必要がある」のに対し、加害者側は「現在している行動を止めれば」済む。己の行為の尻拭いを被害者に強いるのは行為者の我儘でしかない。虐待する親の「言うことを聞かないから体罰は仕方ない」という言い訳と同じ。虐め以外の人権侵害も同じ。

 

「幾ら説得しても直らない場合は、苛め(られ)るのは仕方ない」

より説得力・解決能力に長けた者に相談するのが筋。それでも改善しない場合は相手の発達障害・学習障害等の先天的脳疾患を疑い、専門家による適切な治療を施すべき。やるべきことをやらずに「仕方ない」と諦めるのは怠慢。

 

「相手を虐めるのは相手の為」

偽善の典型で、本当は自分自身の為。相手に見える自分の中の一部を否定し非難することで快楽を得、精神安定を図っているに過ぎない(自己投影による同属嫌悪)。

人が感情的に他人を批判する時、その内容を裏返した事が必ず批判する本人にも当て嵌まる(作用反作用の法則)。以下、事例。

 「相手は理解力が欠けてる!」⇒自分に説得力(相手の立場への理解力)が欠けてる。

 「彼は協調性が無い!」   ⇒自分が彼を思いやってない(協調性が無い)。

 「もっとテキパキ動け!」  ⇒自分がテキパキ動き過ぎで心にゆとりがない。

 「こっちの都合も考えろ!」 ⇒自分が相手の都合を考えてない。

 「発言が無責任だ!」    ⇒自分の解釈に責任を持ってない。

 

「何であれ対外評価は尊重すべき」

評価者自身の主観・感想に過ぎないので、必ずしも常に真に受ける必要はない。特に否定的で感情的な「キモイ」「ウザイ」「バカ」「死ね」等の対人論証の類は、評価者自身の想像力・教養・免疫の無さ、経験不足、精神年齢の低さを自ら露呈し、寛容さや思いやりに欠けていることを身を以て証明しているに過ぎない。

学のない者の意見を鵜呑みにするということは心のどこかでそれが正しいと認めている(同意している・反論できない)ということであり、翻せば受け取る側が精神的に自立していない証拠。傾聴すべきは、成熟した人格者の否定的・感情的でない評価。

 

「100人中99人が同じ評価なら、尊重すべき」

10億人全員が同じ評価であっても、各人の主観であることに変わりはない。善悪を多数論証に頼るのは論拠の薄さの自己証明。

 

「言葉で誰かが傷付けば、それは発言者に原因がある」

「発言」のみならず「解釈」もまた「言葉を使うこと」のうち。別記の通り、言葉で傷付いている時、傷付けている張本人は被害者自身。自分で自分を傷付けて置きながら相手を制限するのは我が侭というもの。解釈する側には解釈する自由と同時に解釈の責任もあるので、解釈による結果責任(不快感等)は解釈者自身が負うのが筋。

 

「不愉快になるのは相手の発言のせい」

因果が逆。相手の表現・言論の自由を制限しようとする(認めない)からこそ、自分自身が不快感(不自由)を感じる。相手の表現の自由を与えれば、自分自身も自由を受け取る(不自由・不快感を感じなくなる)。これが「業(カルマ)」であり「因果応報」「作用反作用の法則」であり、「自分の為した行為が自分に返る」「人を裁けば自らが裁かれる」「自業自得」の意味。

 

「少なくとも発言者が自重すれば受け手は傷付かないのだから、発言者が気を付けるべき」

「相手が変われば良い」という発想は、加害者と同じ。楽をして内省しないままでは自分の固定観念が変わらないので、相手や環境が変わっても何度も同じような体験を繰り返すことになる。読書等により様々な観点・考え・思想を学び、視野を広げ多角的視点から物事を見る目を養うことが肝要。

 

「苛められて自殺(未遂)した。自殺(未遂)の原因は苛めた側にある」

ない。自殺(未遂・不登校・離職やそれ以前の自殺願望・自己嫌悪・精神的苦痛・鬱を含む)の原因は「自殺者(=自殺の加害者=被害者)自身の思い込み自分ルール固定観念」にある。自殺前に受けた人権侵害は、自殺の原因ではなく自殺の理由・言訳・口実・切欠・動機。実際、十分適切な人権概念の習得者は、どれほど凄惨な人権侵害を受けても適切に対処し決して自殺を選ばない。

自殺(未遂)者と最も長く時間を共にしその人生観に最も影響を与えたのは保護者。その保護者には、「不十分な信頼関係・保護」「問題解決力・生きる力の乏しい人格育成」「死ねば許される・償える・解決する・報復できるという価値観を教えた、或いはその間違いを教えなかった」という落ち度がある。

よって自殺防止の為に自殺(未遂)者の保護者が為すべきは、「自殺(未遂)前の人権侵害者」への批判よりもまず「自殺(未遂)者自身の人権侵害行為」であり、何より「自身の教育・哲学の不備を認識しその教訓を広く伝えること」である。別記「自殺に関するよくある勘違い」も参照。

 

「いじめ自殺の原因は自殺者の心の弱さにあるから、いじめた者に原因はない」

「自殺の原因」が無くても「自殺するほどまで精神的に追い詰めた原因」はいじめた者にあり、道義的責任は免れない。「いじめていなくても自殺した」事を証明できない限り、いじめた側に間接的原因がないとは言えない。

このような発言者が勘違いしたまま成長すると、自分の行為を相手のせいにして反社会的な行動を正当化する可能性があるので、適切な矯正教育が必要。

 

「苛められたくらいで自殺する方が悪い」

客観的には大した事ではなくても、自殺するということは少なくとも本人にとって相当の苦痛があったと見るべきで、他人が当事者の苦痛の度合いを分かるというのは思慮が足りない。

このような発言は「自殺したくなるほどの酷い虐めを受けた経験が無い者」や「出来事の背景にある諸事情や当事者の心境への想像力・共感力・思いやりが欠けた人生経験の浅い者」に多い。

 

「虐めの原因は虐めっ子の親にある」

親にあるのは「虐めの原因」ではなく「虐めっ子に適切な教育をしなかった原因」。虐めの原因はその行為者、即ち「虐めっ子の精神的未熟」にある。

 

「虐められた原因は虐められっ子の親にある」

親にあるのは「虐められた原因」ではなく「虐められっ子に適切な教育をしなかった原因」。虐められた原因は加害者が虐めた行為、即ち「虐めっ子の精神的未熟」にある。上記の通り、どんな場合も被害者には加害行為の原因はない。

 

「加害者や被害者の存在が虐めの原因。彼らが存在しなければ虐めは起こらない」

論理飛躍の典型。如何なる事象・現象も存在自体に原因はない。存在を原因視する短絡的思考パターンは殺人者と同じ。

 

 

 

 

2)いじめの対処法

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「やられたらやり返せ」「いじめっ子に復讐すべき」

いじめっ子は「脳が未熟或いは論理的思考力が乏しいが故に協調性・共感性に欠けた一種の知的障害者」であり、必要なのは懲罰ではなく矯正。感情的になって仕返しようとする側もまた、矯正が必要cc

 

「弱いから虐められる。強くなればいい。この世は弱肉強食。甘えるな」

論点すり替え。「強くなること」は一時的回避策としてはあり得るが、「自分さえ虐められなければ良い」という利己的な発想に基づく事勿れ主義。虐めの原因である「加害者の環境適応力の欠如」が改善されないので、根本的解決にはならない。

生物の進化の本質は「競争」ではなく「共生」にある(共生進化論)。異生物間でも相互扶助しているのが生命の本質。事実、人間の身体の中だけでも数億の生命体が共存共栄している。虐めは、己を脅かす存在を排除しようとする行為、即ち包容力の低さの現れであり「弱者の特性」。その弱者が自己正当化のために「弱肉強食」という概念を苛めの口実に利用しているだけ。

 

「異質な存在を排除するのは自然淘汰の一環。弱者は排除しなければ人間社会は進化しない」

多様性に対する適応力が乏しく排除する以外の術を知らない者こそ弱者なので、自家撞着。当然、苛めっ子をただ排除することも進化に逆行する。苛めっ子に必要なのは批判や排除ではなく救済・治療・カウンセリング。

 

「いじめられっ子が可哀想。救済するべき」

本当にかわいそうなのは、感情を自制できず共感性・協調性が欠如したままで放置されているいじめっ子の方。緊急時は別として、真に救うべきは”愛に飢えた”虐める側。救うのは加害者だけで良い。

場面が変われば加害者が被害者になっているケースも少なくない。あらゆる犯罪にも言えるが、加害者を救えば自動的に被害者は救われる。被害者のみを救おうとするのは偽善。

 

「いじめが辛いなら無理に登校しなくて良い」「最終的にはいじめられる側が転校すれば良い」

登校拒否や転校を勧めるべき相手は、「どうしてもいじめを止められない子供とその親」。問題のある子どもに常に働きかけ矯正の機会を与えるのが学校の責務。いじめる側の不良グループやその親の反発等を怖れ、指導しやすい相手(被害者)に改善を擦り付けるのは無責任の極み。放置されたいじめっ子自身にとっても不幸。

よって、万が一引越しを余儀なくされたなら、それは「学校の指導力や対処能力の不足の結果」でもあるので、転校に係る諸費用の一部は学校が負担するのが筋、となる。

 

「少年犯罪者にはもっと厳罰を与えるべき」

飲酒運転と同じで、安直な厳罰化や非難や制裁は問題の陰湿化・冗長化を招くだけ。少年非行は受けるべき教育を受けていない証拠なので、救済し更生教育を施し加虐性・凶暴性を除去できるよう社会全体で支援するのが正しい。

 

「いじめをするような奴は社会のクズ」

この主張者自身が、恐らく過去にいじめられたトラウマが残っている。心を治癒すべき。

 

「子供の問題は大人の問題。虐めっ子の素行の悪さは保護者や教師に責任がある。親や教師を厳罰に処するべき」

罰したところで何の解決にもならない。「ダメ教師」「ダメ親」等というレッテルを貼って非難・批判すれば、余計に実態の陰湿化や問題の長期化に繋がる。その結果犠牲になるのは子供。虐待する親と同様、社会がもっと手を差し伸べてより気楽に相談できる雰囲気を作り、適切な育児ができるよう助成すべき。

 

「自分が標的にされないためにも、見て見ぬふりした方が良い」

いじめは人権侵害でありパワーハラスメント。人格に問題のある子どもを発見したら匿名でもいいので即刻大人に報告し対処しなければ、その苛めっ子は精神が子供のまま肉体だけ大人になる。

たとえその場で直接庇えなくても、被害者へのフォローの仕方は色々ある。例えば授業中にいじめられっ子から文房具等を借りて、さり気なくいじめっ子にも聞こえるように「ありがとう」と言って返すだけでも、意義がある。

 

「先生を頼ってはいけない。先生は信用できない」

確かに学校は管理不行届や指導能力の欠如を責められることを恐れ隠蔽したがるが、全ての先生が自己保身ばかり考えている訳ではない。仮に相談した100人全員が無能教師でも、101人目が理解ある教師の可能性もある。数人の例のみで全教師を判断するのは偏見。

 

「いじめを大人にチクるのは卑怯」

大人の目の届かないところでいじめる方がよほど卑怯。チクる(密告する)のは適応力の低い子供が存在するという現実問題・真実を公に詳らかにすることであり卑怯ではない。情報によって不都合を被る者ほど、その情報の公開を規制したがる。

大人にはどの子供にどんな問題行動があるかを知る義務と責任、子供には自分が知り得た事実をいつでも大人に伝える権利と自由がある。その権利行使が社会の改善に繋がる。よって堂々とチクる(報告・申告・密告する)のが正しい。

 

「相談したことがバレるとエスカレートするので、相談しない方がいい」

相談した際にその懸念を伝えれば、余程未熟な教師でない限り配慮して貰える。大事なことは、どの生徒がどんな心の状態にあり精神的疾患を発症しているかという事実を共有化すること。仮にいじめが酷くなったら相談した相手が無能な証拠なので、より有能な大人を探すべき。

 

「親や先生に負担を掛けたり事が大きくなるので、相談しない方がいい」

子を産み育てる決意をしたのは親や教師自身。彼らには子供に快適な教育環境を整える義務と責任がある。また子供の人権を守るのは社会全体の責務。子供は遠慮せず堂々と、己の人権を主張して良い。

 

「子供の問題は子供同士で解決させるべき。大人が口を挟むべきではない」

事なかれ主義で無責任な放任主義者が多用する自己弁護・逃げ口上。子供たち自身では解決できない場合には積極的に干渉しそこに知恵を挟むのが、親や教師の当然の役割であり教育の義務。

 

「いじめが起こっているのにクラスの誰も教師の私に報告してくれない。見て見ぬふりする生徒が悪い」

・・・と言っている教師に指導力が無いだけ。

 

「いじめられてるのに親である自分に相談してくれない。黙っている子供が悪い」

・・・と言ってる親が子供から信頼されてないだけ。

 

「誰とでも仲良くしましょう」

ただそれを言うだけでは意味がない。仲良くする方法や仲直りの仕方、謝り方・許し方、相手を傷つけない話し方・考え方を伝達せずに、徒に仲良くさせるのはナンセンス。無能な大人ほど具体性に欠けた無意味な指導が多くなる。

 

「誰と会話し誰と付き合うかは個人の自由」「誰とでも仲良くすべき、は理想論」

若いうちから気の合う仲間とばかり付き合わせるのは、人間の幅を狭める。馬が合わないからと疎んじていては、当人の交渉術や対話力・折衝力など自己表現力が育たない。話の通じる人間ばかりではない、という事実を身を以て知るだけでも意味がある。適切な指導の元、半ば強制的にでも一緒にさせ揉め事を数多く経験させる方が、より早く優れた人格形成を図ることができる。

 

「苛めは起きてはならない。根絶すべき」

程度問題。子供は誰でも成長の途上なのだから、寧ろ起きて当然。本当に起きてはならないのは「起きてはならないという大義名分を口実に事実が隠蔽されること」。

 

「いじめは悪い事で恥ずかしい事だということをもっと教えるべき」

伝えるべきは「いじめは悪」という単純な二元論ではなく「何故悪と言えるのか」「何故いじめてはいけないのか」「他にどんな対処法があるか」という論理的で明快な理由と具体的対応策。漠然と「悪い事」と唱えるだけでは、表面的に見え難くなるだけで解決にならない。

 

「ネットいじめが流行っているから子供に携帯電話を持たせるべきではない」

浅慮な者に見られる事勿れ主義の典型。若いうちから様々な媒体を用いたコミュニケーション能力を磨かなければ、ネットリテラシーの低い大人が増える。

 

「社会人になってもいじめはあるのだから、子供のうちからいじめられない処世術を身につけるべき」

いじめの原因は100%虐める側にあるので、まずは「社会人になってもいじめや嫌がらせをしなくて済むよう、子供のうちから忍耐力と寛容さ・交渉術・自制心を身につけるべき」が本筋。

被害者に対応を促すことは、いじめの根本原因である加害者に「変わるべきは自分ではなく相手」という誤ったメッセージを与えてしまい根本的な解決を長引かせる。

被害者の側を変えようとするのは、加害者寄りの視点に立つ者に多い。彼らが被害者を変えたがる理由は、「自分が変わらなくて済む方が楽だから」に他ならない。

 

「世渡りが上手くならなければ、いじめられる確率が上がる」

上手い世渡りとは「不平不満をいじめ以外の方法で表現するコミュニケーション能力があること」「感情に自己責任を取れること」でもあるので、「世渡りが上手くならなければ、いじめる確率が上がる」とも言える。

「相手の機嫌を損なわないようにすること」「顔色を窺うこと」も表面的には上手い世渡りと言えなくもないが、その効果は「感情に自己責任が取れない者を甘やかせる」だけ。

 

「差別用語は言葉狩りすべき」「暴言や罵詈雑言は規制すべき」

言葉は単なる記号であり、言葉そのものには誰かを害する力はない。言葉には誰かを勇気づける力もなければ「魂がこもってる」ということもない。読み手である主体が己の主観でそのように解釈しているだけであり、言葉を解する個々人がそこに各人なりの意味や価値を見出しているに過ぎない。

「この言葉は相手を貶める為に使う」と定義している体験者は、それを自分が言われたときに「貶められた」と感じる。主観で「これは他人を傷付ける時に使う言い回しだ」と定義しているからこそ、それを言われた時に自分が傷付く。謂わば自業自得。

人が他人の発した言葉や発言者を制止しようとするのは、「気分を害した原因が言葉や発信者にある」と見誤っている証拠。暴言や罵詈雑言の原因は「使う人の心の未熟さ」。言葉狩りで表面的に規制しても「心の未熟さ」を放置すれば、新たな単語・言い回しが生じるだけでいたちごっこに終わる。

規制すべきは言葉ではなく、心の弱さを助長するような「言葉狩りそのもの」。言葉狩りで満足してしまえば、却って問題が長引く。

 

 

 

 

3)いじめの定義

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「いじめは犯罪」

必ずしも全てが犯罪に当たる訳ではない。程度によってはちょっかい、からかい、弄(いじ)り、甚振(いたぶ)り、悪戯(いたずら)、意地悪、嫌がらせ、ハラスメント等と称される。

逆に、暴行・傷害・名誉毀損・侮辱・窃盗・横領・器物損壊・恐喝・脅迫・強盗・自殺教唆等に明らかに該当する犯罪を、安易にいじめと称するべきではない(行為者の罪悪感が薄れる)。

 

「文科省や警察庁の定義によれば、被害者の苦痛が無ければいじめではない」

二元論的解釈による論理的ミス。文科省等の定義は「苦痛があればいじめ」だが、それを以て逆の「苦痛がなければいじめではない」は真にはならない。対偶の「いじめでないなら苦痛が無い」は真。これは小学校で習う論理学の基本。「苦痛の無いいじめ」が対象外なのは把握が困難でキリが無いため。役所の定義は「統計上のいじめ成立条件」に過ぎない。

 

「被害者が苦痛を感じていないなら、いじめではない」

そうとは限らない。例えば、机の上に花瓶を置いたり落書きしたり、揶揄した手紙を回し読みしたり、持ち物をゴミ箱に入れたり、靴の中に画鋲を入れたりした時点で、相手が知らなくても(苦痛を感じていなくても)これらは「いじめ」(を意図した)行為。

既知であっても、被行為者が無頓着・鈍感・マイペース・能天気・悟りを開いている・超ポジティブ・強靭な精神力の持ち主であれば必ずしも苦痛を感じないが、行為者に「いじめの意図」があればそれは既に「いじめ(未遂)」である。いじめの本質・原因は「虐める側の精神的未熟」。本質を見ずに定義を型通りに解釈して「いじめではない」とするのは、お役所的な事勿れ主義。

 

「被害者側がいじめられたと感じて初めていじめが発生する。感じなければいじめではない。」

第三者が見て明らかにいじめであっても、被害者が鈍感だったり気付かなかったりすれば必ずしも「いじめられた」とは感じない。「当事者の認識や苦痛の有無」は、「いじめか否か」を決める必要条件ではない。

「虐待された乳児が虐待と認識しなければ虐待ではない」「意識を失った被害者が事故にあったと認識しなければ、事故が発生したことにはならない」「詐欺の被害者が詐欺にあったと認識しないうちは詐欺ではない」などという理屈が通用しないのと同じ。

 

「机の上の花瓶はプレゼントかも知れない。葬式ごっこ、つまりいじめと断ずるのは尚早」

プレゼントでも、それを受けた側が嫌な気持ちになればそれは結果的に「いじめ・嫌がらせ」になり得る。勿論、「嫌な気持ちになった原因」(≠「いじめの原因」)は100%嫌と感じる本人にある(別記「感情自己責任論」参照)。

 

「プレゼントなのに誤解するのが悪い。被害妄想」

「誤解の原因」は当然、誤解する側に100%あるが、「プレゼントを渡した原因」は渡した側にある。「誤解されるのが嫌という感情の原因」もまた、そう感じる側に100%ある。

 

「無視・シカトはいじめではない。誰と話そうが表現の自由」

積極的な無関心は、虐待の一種のネグレクトと同じで精神的な苛め・嫌がらせ。嫌いな相手の挨拶を無視するのは幼稚な嫌がらせではあるが、表現の自由の範疇。無視されて腹が立っても自己責任。

 

「精神的いじめによる精神的苦痛は自己責任であり自業自得」

精神的いじめを意図する側の精神的苦痛にも言える事。いずれにせよ子供に強いるのは酷。

 

「いじめも自己表現のうち。どれほど卑怯で稚拙であっても表現の自由」

いじめるのが自由ならいじめられないのも自由だが、他人の人権を侵害し公序良俗に反する表現の自由はただの我儘。

 

「誰しも嫌いになる権利・自由がある」

嫌うだけなら内心の自由だが、相手の権利・自由を侵害すれば制限される。

 

「自由を侵害されていると感じるかどうかは個人の自己責任」

いじめる自由についても同様。侵害されていると感じていようといまいと、「相手の人権を侵害しない範囲の意志表示」は表現の自由。

 

「あだ名は、いじめのきっかけとなり得るので全面禁止すべき」

事勿れ主義的な大人に多い言葉狩り・表現狩り。臭い物に蓋では問題は解決しない。

 

「お笑い芸人がTVで“死ねばいいのに”などと言うのはいじめ。子供が真似するので止めるべき」

「いじめ」ではなく「いじり」。前者は相手の個性を殺し苦痛を与える(相手が嫌がる・愛がない)が、後者は個性を活かしツッコミの機会を与える(相手が喜ぶ・愛がある)。

互いの信頼関係や愛があるからこそ可能な高度な対話であり、言葉尻だけで判断するのはその関係を表面的にしか理解していない証拠。真意を汲み取らずユーモア精神に欠けた安易な言葉狩りこそ、子供が真似するので止めた方が良い。

とはいえ本来子供は真似することで学習するもの。空気の読めない子供がいれば、そこで正しく指導するのが大人の務め。対処できない己の無能さを棚に上げ芸人を批判するのは責任転嫁。

 

「お笑い芸人がTVで容姿を揶揄したり醜態を晒させたりするのは公開いじめ。不愉快なので止めるべき」

それも「いじめ」ではなく「いじり」。当人は「画面に映れておいしい」「自分がピエロになることで周囲を明るくしている」と思っている。

なお不愉快と感じるのは醜態に対する差別心の表れであり、自己責任。他者(番組製作者など)のせいにするのは御門違い。

 

「被害者側が楽しそうに笑っているから、いじめではなくいじり」

単に笑っているだけでは、それが本心かどうかは分からない。表情だけで判断すべきではない。

 

「本人がいじめられてないと言っているので、いじめではない」「被害者がいじめだと感じたらいじめ」

脅迫されていたり、プライドや自尊心から本心を言えない可能性も多々ある。被害者の勘違いや被害妄想、相手を困らせるための虚言である場合もある。鵜呑みにせず客観的に把握することが肝要。

 

「クラス全員がいじめてないと言っているので、いじめではない」

多数論証。40人中40人がいじめをしている自覚がないこともある。鵜呑みにせず客観的に把握することが肝要。

 

「いじめかどうかは第三者にしか判断できない」

冷静かつ客観的に思慮できるなら、当事者にも判断は可能。

 

「虐めは人格に問題がある者を矯正する手段」

人格矯正に必要なのは広く豊かな経験や知識であり、虐めは却って人間不信・社会憎悪を増しかねず逆効果。性格が良くなるどころか、寧ろ悪化する危険性がある。この場合、矯正すべきは「短絡的に虐めを肯定する者の人格」。躾と称した虐待や体罰と同じで、本気で矯正したいのであれば素人判断で対処する前に精神医学や心理学に通じた専門家に任せるべき。

 

「被害者側が反省しないから教えてやってるだけ。いじめではなく躾・教育」

相手が嫌がることは教育とは言わない。いじめなければ説得できないのは教育素人。体罰容認者同様、他人を教育する前に己自身を教育すべし。

 

「虐めは本能・必要悪」

本能とは呼吸・睡眠・摂食のように「生命維持に欠かせない行動」をいう。「誰かを虐めてないと死ぬ」という人間はいないので本能ではない。強いて言えば、虐めによって優越感という名の快感を得る仕組み・メカニズムが、本能。「必要悪」は現状を変えられない者による言い訳に過ぎない。

 

「苛めは無くならない」

主張者が「無くし方を知らない」だけ。現在いじめが起こるのは、まだ人間の総体的な精神レベルが低く、教育水準/社会制度が未成熟であるからに他ならない。感染症の病原菌等と同じで「理に適った正しい無くし方」を施せば確実に無くなる。この事はいじめに限らず、あらゆる犯罪・戦争も同じ。

また多くの名も無き人々の不断の努力により人知れず無くなって(解決して)いる事例は幾らでもある。目に見える事や報道されることだけが全てではない。

 

「昔は今よりいじめが少なかった。現代っ子は精神が病んでいる」

・・・と主張する者が、己の子供時代の個人的記憶からそう感じているだけ。ニュースにならないのはそれだけ日常茶飯事で珍しくなかった、或いは他の大事件が多かったという証拠。逆に、戦後暫くの少年犯罪件数の多さは、当時の子供たちの心が如何に荒み精神を病んでいたかを示している。

 

「昔は今よりいじめ自殺が少なかった。現代っ子は精神が弱い」

昔は大人が起こす凶悪事件が多過ぎて、子供の自殺が注目されなかっただけ。いじめ自殺報道が多くなるのは、世の中が比較的平和になり、子供の人権を憂慮する余裕のある大人が増えてきたという兆候。情報インフラの発達した現代に生きる子供たちが受け取る知識や知恵は、量・質共に昔の比ではない。現代っ子の方が昔の子より遥かに早熟で精神的に大人。

 

「今のいじめは昔に比べて陰険で陰湿」

いじめはいつの時代も陰険で陰湿なもの。大っぴらに為されていたなら、それは「いじめに対する世間の目がそれだけ甘く、いじめる側に罪悪感がなかった」証拠。

 

「いじめは日本特有の現象。海外ではいじめはない」

いじめ・差別は世界中で起きており、日本は寧ろ少ない方。広義では、人種差別・民族虐殺・DV・強盗・テロもいじめの一種。

 

 

 

 

4)読む前・読んだ後にチェック〜心理テスト〜

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貴方は「いじめる側」と「いじめられる側」にそれぞれ何%程度「いじめの原因」があると思いますか?

70:30くらいでしょうか。それとも40:60くらいでしょうか。「当事者以外にも30%くらい原因がある」と思う人は、60:10:30などとなります。

合計が100になれば、0:100でも34:33:33でもOKです。自分が思うとおりに考えて下さい。ケースバイケースだ、と思う人は、全国で発生するいじめ全体で考えてみてください。99.99:0.01という答えもアリです。

 

では上で貴方が思った「いじめる側の割合」の%数をしっかり覚えてください。

 

覚えましたか?

それでは、以下を読んで下さい。

 

答えの%数は、今の貴方の「精神的成熟度」を表しています。

数値の高い人ほど、精神的に成熟し自立しています。物事を論理的に考えることができ思いやりがありコミュニケーション能力が高く、感情のブレが少なく周囲の状況に冷静に対応出来る人です。

数値の低い人ほど、未熟で想像力と自己表現力に欠け、他人に感情を左右されやすい精神年齢が幼い人です。

何故上記のようなことが言えるのか、100%なんてあり得ないではないか等、疑問に思う人はこのページを隈なく精読してください。

友達や親や兄弟同士で、アンケートを取ってみて下さい。大人だと思っていた人が意外と子供だったり、面白い発見があるかも知れません。

 100%の人・・・・・貴方は論理的思考力があり精神的に自立しています。肉体年齢は例え子供でも、精神年齢は完全な成人です。何も言うことはありませんcしかしそこで満足せず、是非100%未満の人を啓蒙し続けてください。

 80%前後の人・・・・貴方の精神的自立度・成熟度は高い方です。しかしまだ少し、不快感を他人のせいにする時があるようです。己の固定観念をどうしたら変えられるのかは理解してますか。倦まず弛まず内省することが大事です。

 50%前後の人・・・・貴方の精神的自立度・成熟度は中くらいです。自分の不快感の原因がどんな固定観念にあるかは理解してますか。本を読んだりして視野を広げ、多面的に物事を見ることが出来るよう己を高めましょう。

 20%前後の人・・・・貴方は自分の不快感を相手のせいにしてしまう傾向があります。自分の感情の原因が自分の固定観念にあることは理解してますか。我慢出来ない時は安易なストレス解消に逃げず、周囲の大人へ相談しましょう。

 10%未満の人・・・・貴方は少し人格が歪んでしまっているようです。まずは自分自身を愛せるようになりましょう。感情自己責任論を読んでも理解できない場合は、色んな経験を積んで、半年後、1年後に再度読んでみてください。

 

 

 

 

5)いじめカウンセリング事例(子供編)

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−○○が貴方に虐められたって言ってたけど本当?

・・虐めてません。みんなでちょっとからかっただけです

−どうしてからかったの?

楽しいから。○○も楽しんでた

−でも○○は嫌だったって言ってたよ。止めて欲しいって

・・・

−本当はさ、○○にムカついてたんでしょ

・・・

−もし仮にムカつく人がクラスにいたら虐めていいと思う?

いい。虐められる方が悪い

−どして?

虐められるようなことをするから

−どんなことしたの?

みんなが注意しても聞かなかったり我が儘言ったり悪口とか嫌味なこと言ったりして自己チューだから

−自己チューだったら虐めていいの?

いい。虐めてやらないと分からない

−その考えも結構自己チューだと思うんだけどなぁ・・

相手の為にやってるから自己チューじゃない

−相手が嫌がることをするのが、相手の為になるの?

ならなかったら相手が悪い

−分かるように注意したの?

何度も言ったけど、分かろうとしない

−何度言っても聞かないなら、言い方が悪いんじゃない?先生には相談したの?

してません

−何故相談しなかったの?

・・・子供同士で解決することだから

−虐めたら解決するの?

うん、する

−そうかなぁ。虐められた子は「どうして自分がいじめられるのか分からない」って泣いてたよ。解決になってないんじゃない?

虐められた子が反省して自分で解決すればいいと思う

−じゃまだ解決してないんだね。その子にとっては

・・・・

−その子の解決の手助けはしないの?

その子の問題だから・・

−でも困ってるよね。理由が分からずに。周りにいる友達が手伝ってあげた方がいいんじゃないの?

そうしてる人もいるよ

−貴方は助けなくていいの?

どして助けないといけないの?

−だってその子の何が問題かをよく知ってるじゃない

こういうとこ直した方がいいよって。何回も言ったよ

−その子はある程度直したんじゃないの?

少しは直ったけど、まだ足りない

−じゃまだ足りないって言えばいいんじゃない?いじめるんじゃなくて

でも何回も言ってるのに変わらないからしょうがない

−じゃぁやっぱり子供同士では解決出来ないって事だ。限界があるってことでしょ?

・・・んー・・

−相手に伝わらないからって虐めても解決しないよね。子供同士だと

・・・

−それにアフターフォローもできてないし

アフターフォロー?

−いじめっぱなしで後始末できてないってこと

後始末って?

−いじめた子に何故いじめたのか伝えたり、謝ること

えー!謝るの?

−勿論

向こうが悪いのになんでこっちが謝らないといけないの

−いじめの原因は向こうにはないからだよ

向こうにあるよ

−どんな事が原因?

悪口とか態度とか

−同じ悪口を言われてもいじめない人だっているよね

それはその人が我慢強いだけ

−君は我慢強くないの?

そこまで強くない

−じゃいじめの原因は君が我慢強くなかったことだ

でもあっちが悪口言わなければいじめないんだからあっちも悪い

−悪口を言われてもいじめない人もいるよ

それはそんなに酷い悪口じゃないからだと思います

−どういう悪口だといじめていいことになるの?

ウザイとかバカとか死ねとか

−死ね、て言われた人は全員、言った人をいじめてる?

いじめる人はいじめてる

−いじめない人もいるよね?いじめる人といじめない人は何が違うんだろう

我慢強いからじゃない?

−じゃ我慢出来なくなった人がいじめるのかな?

そう

−忍耐強くなれば、いじめなくなるんだね

でも忍耐強くないから

−我慢強くなればいいじゃない

相手が悪口とか言わないなら我慢できる

−やっぱり相手のせいなのか・・・

だって悪口言う方が悪い

−悪口は確かに良くないけど、いじめはもっと良くないよ。もし悪口言われて悔しかったら悪口で返すのが筋じゃないの

でもムカつかせる方が悪い

−今後も気に入らないことがあったらずっとそうやって相手のせいにするの?

んー・・・相手による

−相手が自分より弱そうだったらいじめるってこと?

・・・多分

−自分より強そうな人に悪口言われたらどうするの?

悔しいけど我慢する

−同じ言葉なのに、相手が自分より強い人なら我慢するけど、弱い人なら我慢しないの?

そう

−喧嘩になったときに勝てそうな相手しかいじめないってことだね

そりゃそうだよ。怖いもん。みんなそうするよ

−相手によって態度を変えるの?強い人にはゴマすって弱い人には強気に出る。それってカッコ悪いと思わない?

・・・

−相手によって態度を変えるような大人の人見てどう思う?そんな大人になりたい?

・・・

−死ねって言われてもそれを真に受けなければいいんじゃない?先生だったらそうするけどなー

・・・うーん

−態度が悪いのもその子の個性なんだからさ。個性を認めればいいじゃん。難しい?

難しい

−まだ自己表現が上手く出来ない子なんだって思えばそんなに腹立たないでしょう?

自己表現が下手だったらいじめられてもしょうがない

−ムカついたらいじめるって人も、自己表現が下手なんじゃない?

・・・

−自分なら許されるけど相手なら許されない、それってズルくない?

・・・

−まだレベルが低くて忍耐力も低いんだよ。だからこれからレベルアップすればいいんだよ。今何歳だっけ

10歳

−じゃまだレベル10だ。今度レベル11になるまでに表現力も忍耐力も上げないとね

どうやって?

−経験値を増やすことで

どうやったら増えるの?

−いろんな本を読んだり映画を見たり人と会話したり。でも自分より弱い者をいじめてたらなかなかレベルアップしないよ

あーゲームと一緒だ

−でも人生の場合ゲームと違ってリセットが利かないから大事にしないと。自分の人生も相手の人生も

はい

−じゃ今度から我慢出来なくなったら大人に相談してね

・・・うーん・・・・

−相談したくないの?

だって虐められてる方が相談すればいいし

−てことはまた虐めるつもりなの?

分からない

−虐めるかも知れない?

うん。我慢出来なくなったらすると思う

−我慢出来なくなったら、先生に相談してよ

でも先生がいつも傍にいる訳じゃないし

−まずは周りのみんなと相談したらいいじゃない。まずは子供同士で解決するために

あっそうか

−今度ムカついたらどうする?

友達と相談する

−相談してやっぱ虐めよう、ってなったらどうする?

虐めると思う

−先生に相談しないの?

相談する前にちょっと虐めると思う

−どうして?我慢出来ないの?

出来ない時もあると思う

−みんなが我慢出来なくなったら、虐めていいの?

いいと思う

−どうして?

みんなで決めたことだから

−みんなで決めた事でも、必ずしも正しいとは限らないよね

でもそれだけ多くの人をムカつかせてるんだから、悪いのはムカつかせる人だと思う

−ムカつかない人も中にはいるよね。虐めやめようって人も

いるかも知れないけど・・

−その人の意見は無視するの?

無視する人はいると思う

−何故無視するんだろう

我慢出来ないから?

−何故我慢出来ないのかな

それだけムカついたから

−ムカついたら虐めていいの?

・・本当は良くない

−そうだよね。上級生が来て「お前ムカつくんだよ」って言って自分を虐めてきたらムカつくよね

ムカつく

−誰でもそうだよね。本当はどうしたらいいんだろう。我慢出来ないときは

んー・・分からない

−先生に相談しようとは思わない?

だって怒られる・・

−虐めてなかったら怒らないよ。虐める前に相談に来たら

でも虐めてたら怒られる

−何故怒られるか分かる?

悪いことだから

−何故悪いことなのだろう

卑怯なことだから?

−そう。だから先生に相談してよ。虐めた後でも、相談に来た時は絶対怒らないから

ホントに?

−ホントに。今日先生怒った?

怒ってない

−虐めたくなったら相談に来て。皆一緒に。できればムカつく子も連れて来て

分かりました

−今度から、我慢出来なくなったら虐めないでまず先生に相談する。約束できる?

はーい

 

 

 

 

6)いじめカウンセリング事例(大人編)

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Aさんに相談を受けたんですが・・貴方からいじめられていると

−いじめ?してませんよ。誰がそんな子供みたいなこと

嫌がらせを受けている、辛いので止めて欲しいと言ってます

−被害妄想じゃないんですか?

お心当たりは?

−・・まぁ・・・全く無いと言えば嘘になりますが

相手はとても困ってるそうです

−あそうですか。こちらも困ってます

どのようなことで?

−斯く斯く然々不平不満愚痴垂垂

そのことはAさんには伝えましたか

−勿論ですよ。散々言いました

それで反応は

−変わらないですね

伝え方を変えてみたらどうですか。文章に書くとか

−そんな暇無いですよ

手紙とかメールとかなら、口頭では伝わらないことにも触れられますよね

−伝える内容は同じですから、やるだけ無駄でしょう。それに残るじゃないですか。そういうのって

残ったら不味いんですか?

−間違って名誉毀損だとか何とか言われるかも知れない

そうならないように書けば良いのでは。貴方にとっても表現力を磨くいい機会になりますよ

−却って訴えられる可能性が高まるでしょ

このまま嫌がらせを続けた方が高まりますよ

−・・・むぐう・・

Aさんのことで誰かに相談はされたんですか?

−いえ、してません。相談するほどの事ではないでしょ

でも困ってるんでしょう?

−相談したい人がすればいいんじゃないですか?Aさんが貴方にしたように

貴方は他人に相談しなくても、自分で解決できると?

−ええそうです

貴方も相手も困っているのに、解決になってるんですか?

−・・・むぐう・・それが不満なら相手が変わればいいことです

自分は変わらないが、相手には変わるべきだ、と?両者がそう思っていたら膠着状態ですよね

−仕方ないです。本人に気付かせるためには。まぁこれも躾の一環ですよ

いずれにしても今のやり方を続けても相手には伝わらないわけですよね

−そうですね

このままでは変わらないと分かっていて、同じ事を繰り返すのは何故?

−何でそんな事一々言わないといけないんですか。貴方に関係ないでしょう

Aさんから相談を受けてますので、その理由を聞かないことには・・・

−では本人にこう伝えてください。「胸に手を当ててよく考えろ」と

それでも分からないから私に相談したんだと思いますが

−分かってる筈ですけどねぇ、自分の何が問題かくらい。何度も言ってるんだから

貴方はご自分の問題点は変えなくていいんですか

−私の問題点?何ですかそれ

分からないんですか

−分かりませんね

胸に手を当てても?

−はい

ではそれを気付かせるために、貴方に嫌がらせをしてもいいですか

−駄目です。まず口頭で教えてください

貴方の問題点は、自分が困ると相手を困らせてしまう点と、相手の苦痛より自分の快楽を優先させてしまう点では

−・・・お互い様じゃないんですかね

今日お聞きしたことはAさんに伝えます。なので今後嫌がらせは止めて貰えますか

−分かりました。というかAさんそんなに困ってるんなら直接言ってくれればいいのに。協調性の無い人だ

相手が困ってることくらい態度で分かるでしょう。協調性のある人なら

−・・・むぐう・・

相手が協調性が無いと感じた時は、自分に協調性が無い時なんですよ。心理学で投影と言います

−ああ、そうですか

それとAさんは馬鹿にするのを止めて欲しいとのことです

−馬鹿にされるようなことをするから馬鹿にされるのでは

馬鹿にされる側に馬鹿にされる原因があると?

−当たり前ですよ

同じ見方をしてもAさんを馬鹿にしない人もいますよね

−それはその人の自由

馬鹿にするのも自由?

−そうですね。表現の自由

自由には責任が伴いますよね

−何の?

他人の自由を侵害しない範囲で自由を選択する、という責任です

−他人の自由は侵害してないでしょ

してますよ

−してませんよ。何の自由を侵害してますか?

「馬鹿にされない自由」をです

−・・・ふーん。でもそう言って、こちらの「馬鹿にする自由」を侵害するわけですね

相手の馬鹿にされない自由を侵害しない範囲で、馬鹿にすればいいのですよ

−・・侵害してるかどうかは受け取る側の解釈次第ですよね

そうですね

−何を言ったら馬鹿にされない自由の侵害になるかは、Aさんが勝手に決められるじゃないですか

貴方もAさんを馬鹿にする自由の範囲を決めてますよね

−勝手には決めてませんよ。これでもAさんの様子を窺ってます

でもAさんにとっては限度を超してるみたいですよ

−だから?

馬鹿にするのを止めてください

−いいですよね、被害者は。何か言われたらセクハラだモラハラだパワハラだアカハラだドクハラだと言えばいいんだから

それを言うのもまた表現の自由です

−それを言われた方に迷惑を掛けても?

迷惑を掛けてるなら、それは相手の自由を侵害している事になりますね。多くの場合お互い様ですが

−自由を侵害する自由よりも、自由を侵害されない自由の方が優先されるんですか?

相反するので、こちらを立てればあちらが立たずです

−より自由を求める気持ちの強い者が、自由を得ればいいのでは?

それだと力関係で決まりますよね

−それでいいではないですか

駄目ですよ

−何故?

誰かが一方的に苦しむしトラブルになるからです。通常、侵害する自由よりもされない自由の方が優先されて然るべきですよ

−そうですかね

個人同士で殺人する自由と殺人されない自由の、どちらが保護されるべきかを考えれば分かりますよ。馬鹿にする自由と馬鹿にされない自由も、同じ事です

−でもね、どっちにしても原因があるから馬鹿にされるんですよ

無差別通り魔や幼児虐待の被害者も、殺人される側に原因がある?

−・・・それはまた話が別です。馬鹿にされるのは、される側に非があることが多い

非があっても馬鹿にしない人もいますよ

−それはその人にとって馬鹿にする程のことではなかったってだけでしょ

では馬鹿にするかしないかは、馬鹿にする人自身が決めてるんですね

−馬鹿にされる側にも馬鹿にされる原因があります。する側が勝手に決めてるわけではない

いえ勝手に決めてますよ。馬鹿にする基準も理由も方法も度合いも止めるタイミングすら、する側が決めてます

−でもされる側にそれなりの原因があるから、されるんですよ

裏を返せば、馬鹿にする原因が馬鹿にする側にあるということですよね

−どっちも同じでしょ

いえ、その違いを曖昧にしてるから、何千年もの間多くの人が勘違いしたままなんですよ

−大袈裟な

「馬鹿にする」は能動態、「馬鹿にされる」は受動態、という違いがありますよね

−表現の仕方の問題でしょ?

片方は行為をする側で、片方はその行為を受ける側です。立場が正反対

−現象は同じでしょ

時系列的にも、最初に「する人」がいなければ「される人」はいないんですよ

−いや「される人がいなければする人がいない」でしょ

いえいえ、する人が行為して初めて、される人が生じるんですよ

−でも私はAさんがいなければAさんを馬鹿にできません。Aさんがいるからこそ馬鹿にできるんですよ

「Aさんがいる」というだけでは馬鹿にする理由になりませんよね

−Aさんがああいう人だから、馬鹿にできるんですよ。ああいう人として存在するから

どういう人として存在していても、馬鹿にするかしないかは貴方が決めてますよね

−私以外の人も決めてます

その人たちも各々、似たような理由で馬鹿にすると決めてるのでは

−複数から馬鹿にされるということは、客観的にそれなりの原因があるんですよ

「馬鹿にする原因がする側の主観にある」という点は変わらないですよね

−10人中9人が同じ理由で馬鹿にしたら、それは主観じゃなく客観でしょ

突き詰めれば一人一人の主観です

−100人中99人が同じ理由で馬鹿にしたら、それはもはや客観でしょ

10億人中10億人であっても、そう思っている一人一人の主観です

−それじゃ客観が無くなるじゃないですか。何のための客観ですか

元々無いんですよ。客観は只の「共有された主観」なので

−でも多くの人が共有していたら、それは客観性を持ちますよ?

持つかどうかの判断も各人の主観によります

−多くの人が客観性を持つと感じるということは、正しいという事でしょう

正しいかどうかも主観

−少数の主観よりは正しいでしょう?

数が多ければ正しいとは限らない。歴史を学んだからご存知でしょう

−でも数が多い方が「より正しい」でしょ?少なくともその時点では

何が正しいかは数では決まりません。正しさを推し量る一つの目安ではありますが

−一つの目安ですし、相関関係はありますよ

多くの人が間違った事を正しいと勘違いしている事も大いにありますよ

−例えば?

昔は殆どの人が天動説を信じてましたよね

−300年以上も前の事じゃないですか

人類史的にはつい最近です

−仮に正しくなかったとしても、「馬鹿にされる側に馬鹿にされる原因がある」ことには変わりないでしょう

馬鹿にする側に馬鹿にする原因がある、が正しいです。行為の原因が被行為者にあると見るのは間違いです

−でも被行為の原因が被行為者にあることもあるじゃないですか

被行為者にある被行為の原因って何ですか?

−いろいろありますよ。一概には言えません

例えば?Aさんについて一つ挙げてみてください

−頭が悪くて知識が乏しくて間抜けで仕事もできないのに言う事は一丁前で図々しくて礼儀作法がなってないとか

一つに絞ると?

−頭が悪い

赤ん坊ってみんな頭悪いですよね。うんこや涎は垂れ流すし何でも口に入れようとするし

−それは当たり前だからでしょ

Aさんが頭が悪いのは、当たり前ではないんですか

−だっていい歳した大人ですよ

いい歳した大人でも、いろいろな人がいるのが当たり前では?

−でも普通にできることができないんですよ?

人それぞれ個性があるから、そういう人がいるのも当たり前。ということを貴方自身が理解すればいいだけではないでしょうか

−・・・むぐう・・

「頭が悪い」は貴方がAさんを馬鹿にする理由・言訳・動機ですよね

−理由の一つです。頭が悪いだけでは馬鹿にしません

複数の理由があっても、それらは「Aさんが馬鹿にされる原因」ではなく「貴方がAさんを馬鹿にする理由」ですよね

−理由でもあり原因でもあります

理由と原因は違いますよ

−似たようなものでしょ

いえ、その違いを曖昧にしてるから、何千年もの間多くの人が勘違いしたままなんですよ

−またそれですか

理由は主観、原因は客観です

−さっき貴方、客観はないと言ったでしょ。何が原因かを決めるのも一人一人の主観では?

そうですよ。科学的に客観性があるかどうかを判断するのも主観

−ならば地動説が正しいってのも、主観なわけだ

勿論主観ですが、地動説自体は天動説よりも客観性がありますよね

−Aさんに原因があるというのも客観性があるじゃないですか

ないですよ。天動説と同じで論理的に間違ってますし。Aさんに原因があるように見えるだけ

−10億人がAさんに原因があると言ってもですか?

はい。その場合、10億人が揃って因果を見誤っているということになります

−でも結局は「何が原因か」も主観じゃないですか

「頭が悪いのがAさんが馬鹿にされる原因の一つだ」というのは、そう思う人一人一人の主観です

−私にAさんを馬鹿にする原因がある、というのも原因の一つで、貴方の主観でしょ

頭が悪い事は馬鹿にされる原因ではなく馬鹿にする理由だということは、客観です

−客観じゃなくて貴方の主観でしょ?

私の主観であり、客観です

−自分は正しいというわけか

正しいかどうかは貴方がご自身の主観で判断することです

−じゃあ正しくない、と判断します

どこが正しくないですか?

−「馬鹿にされる原因がAさんに無い」と言ってるところがですよ

実際に私から見て、馬鹿にされる原因がAさんに無いんですよ。私自身Aさんを馬鹿にする理由がない

−それは貴方がAさんをよく知らないからでしょ

いえ知ってますよ

−じゃあ馬鹿にされる原因がAさんにあることくらい分かるでしょ?

Aさんにあるのは、強いて言えば「貴方を不愉快にさせる原因」です。「貴方に馬鹿にされる原因」ではなく

−他人を不愉快にさせるから、馬鹿にされるんですよ

不愉快にさせられても馬鹿にしない人もいますよね。結局は馬鹿にする理由が貴方にあることになる

−・・・むぐう・・なんか納得できない

自分の行為の原因を他人に見ることが習慣付いてるんですよ。自分が変わらなくて済む分、楽だから

−・・・

何千年もの間多くの人が勘違いしたままなんですよ

−それ、さっきも聞きました

それに実を言うと、「不愉快にさせる原因」も不愉快になる本人にあるんですよ

−不愉快になることが本人のせい?聞き捨てならんですね

このサイト読んでる人なら分かると思うんですけど

−は?何の話?

あ、いえこっちの話です。例えば貴方が道を歩いていて、段差に躓いて怪我をしたとしましょう。怪我した原因は何ですか

−道の管理者。段差を放置しておくのが悪い。道を造った設計者・施工業者もかな

転んだ原因は段差?それともそれを管理してる人?造った人?

−全部です。段差がなかったら転んでないんでしょ

段差は貴方を転ばそうとはしてないですよね

−そんな意思ありませんからね

設計者にもないでしょう

−無くても、責任はありますよ。転ぶ人がいるかも、と分かってて設計したのなら尚更

大勢の人が同じ道を歩いていて、みんな避けてるのに貴方だけ転んだ場合でも?

−数が多いからって正しいとは限らないんでしょ?さっき貴方そう言ったじゃないですか

今は何が正しいかではなく、何が原因かを話してるんですよ

−なんか騙されてるような・・

善悪論と原因論についての議論は置いといて、貴方だけが転んだら、原因は何ですか

−それなら・・・自分の不注意でしょうね

原因は段差にはない?

−ありますが、自分の不注意も原因です

段差にも自分にも、転んだ原因があるんですか

−設計者・管理者にもです。設計ミスや施工ミスや管理不行届は当然考えられますよね

不注意もいわば歩行ミスですよね。普段から足腰を鍛えておけば転ばなかったかも知れない

−誰もが鍛えてる訳じゃないし

転んでも怪我しないように受け身を取ることもできますよね。それを取らなかったから怪我した

−誰もが受け身を取れる訳じゃないでしょ

怪我の原因は転んだ人の不注意及び怠慢による筋力の衰えと運動神経の鈍さにあるということになります

−誰もが運動選手じゃないんだからさ

でも原因は原因ですよね

−転んだら自己責任ってことですか

その通りです。そもそも段差は動かないし。でも段差を無くしてくれと訴えることは表現の自由ですよ

−設計者には責任はないと?

明らかに設計ミスな段差なら論外ですが、普通そんなことはしないですよね

−・・・

歩いていて電柱にぶつかっても、電柱に原因がある?

−そこに電柱がなかったらぶつかってないですよね

電柱の存在が、ぶつかった原因?

−そうです。存在しているのが原因

存在するだけでは、ぶつかるという現象は起こらないですよね

−でも存在してなかったら実際にぶつかってないじゃないですか

存在していても必ずしもぶつからないですよね。それに電柱も動かないから、ぶつかられた電柱に非はない

−非が無くても原因はあるでしょ

無いですよ。原因はぶつかった人の不注意です

−存在も、原因でしょ

貴方の存在も原因?

−まぁそうなります

両方存在しているんだから、その原因は相殺されますよね。段差と同じ。寧ろ動ける貴方に過失があると見做される

−でも電柱をそこに建てた人に、非はあるでしょ?誰かがぶつかるかも知れないと知りつつ建ててる

ぶつかるかも知れないと思ったら何も作れないのでは

−でもぶつかる可能性はあるじゃないですか

それは全ての人工建築物に言えますよね

−それが何か?

その理由で全ての人為的構造物を無くす訳にはいかないですよね。非現実的だし

−できる範囲でやればいいじゃないですか。電柱は地中化すればいいんですよ。景観も良くなる

不経済ですけどね

−段差も危険なものは無くす。時代はバリアフリーでしょ

それでも残ってる電柱と段差は?

−そしたら注意するしかないんじゃないですか

では残った電柱や段差にぶつかった場合は、その人が注意すればいいんですね

−そうですね

貴方がぶつかった電柱は、その残った電柱だったとは言えないんですか

−・・・むぐう・・

対人でも、存在については相殺されますよ

−存在が原因であることに変わりないでしょ

では貴方の存在も原因?

−そうです

仮に存在する事が原因だとして、何か解決に繋がるんですか?

−存在しなければ問題は起きなかったのにね、と

どちらかがこの世から消えて無くなればいいと?

−極論を言えばね

その発想は、戦争や殺人の肯定に繋がりますよね

−しょうがない。人間の性です

「存在を無くす」というのは正しい解決法だと思いますか

−ええ時には

全ての問題を解決するために人類が滅びれば、問題が起こらない、となりますね

−そうですね

人類が滅びればいい?

−それが唯一の解決策なら仕方ないんじゃないですか

唯一だということはあり得ないですよ

−どうしてそれが言えるんです?

逆に唯一だとどうして言えるんですか?

−質問を質問で返さないでくださいよ

反問も表現の自由です。仮に人類滅亡が唯一の策だとして、それをやったとして何の意味があるんでしょう

−少なくとも問題が解決するじゃないですか

問題を無くすのではなく存在を無くしてますよね

−まぁそうです

それは解決してるんじゃなくて、問題に直面するのを避けてるだけではないんですか?

−・・・むぐう・・

「争いを無くすためには相手を殺せば解決する」という考えもOK?

−実際、争っている当事者のうち片方がいなくなれば争いは止みますよね。相手がいなくなるんだから

それで解決になるんですか

−争いの終結が解決なら、解決になります

争いを終わらせるために争う、ということですか

−そうです

矛盾してますね

−そういうものですよ。時にはそれが必要な場合もあるということです。だから人は争う

わざわざ争わなくても、解決しますよ

−どうやって?

もし互いに離れて暮らして一生終えるまで出会わないなら、互いに存在してない、つまり死んだようなものです

−まぁある意味

離れれば済むのに何故わざわざ殺すんでしょうか

−訳があって離れられないからでは?

殺人してまで離れられない理由って?

−分かりませんけど

離れるためだけなら、殺人をする必要はないですよね。少なくとも距離を置けば済む話

−そうですね

そこまでして殺人する理由は何でしょう?

−相手の存在を消したいんでしょう、この世から

相手の存在が揉め事の原因だと思ってるから、殺人するんですかね

−そうかも知れませんね

存在するのが原因だ、というのは揉め事の当事者の両方に言える事ですよね

−そうですね

自分自身の存在もまた揉め事の原因ですから、相手の存在だけを原因と見るのは偏ってますよね

−ですかね

では何故相手の存在だけに着目するんでしょう

−自分がかわいいんでしょう。誰でもそうでしょ?

Aさんの存在が馬鹿にする原因だと言った貴方も、自分がかわいいんですか

−・・・むぐう・・

如何でしょう、Aさんに対して不満があったら今後はもっと冷静に対応できますか

はぁ。頑張ってみます

 

 

 

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