犯罪その他に関するよくある勘違い

 

Ⅰ 犯罪            ※本当の原因を無視するから無くならない(・x・)

Ⅱ 自殺            ※自殺願望の原因は思い込み勘違い(=∀=)

Ⅲ ストーキング(セクハラ)  ※犯罪は全て心の病が原因(^ω^)

Ⅳ 麻薬            ※依存症や中毒も心身の病(ง •̀ω•́)ง✧

Ⅴ 家庭内暴力/DV      ※暴力は甘え(・∀・)

 

 

Ⅰ 犯罪に関するよくある勘違い

 

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「犯罪の低年齢化は由々しき事態、世も末」

犯罪は精神的未熟者ほど起こす。低年齢化は相対的に社会が成熟しつつある証拠であり、寧ろ喜ばしい現象。いい歳をした大人が犯罪を犯していた今までが異常。そうした大局的観点に立てず悲嘆に暮れる大人がいるのもまた異常。

 

「殺人は年々増え、治安が悪化している」

近年は殺人件数が戦後最低を更新している(社会成熟の兆候)。体感治安が悪化したと感じるのは、統計リテラシーの乏しい平和ボケした者がマスコミの論調に流されている証拠。

 

「あれだけ振り込め詐欺が流行ってるのに騙されるのは、騙される方が悪い」

情報弱者や判断力の覚束無い者は常に存在する。頭では分かっていても恐怖のあまり支払わずにはいられない心理(洗脳・催眠)状態に陥れるのが詐欺。罪なのは「無知」ではなく「無知に付け込むこと」。

 

「無知・無能は罪」

無知・無能は「状態」であって「行為」ではないので罪ではない。無知が罪なら赤ん坊は全員極悪人になる。

 

「借金は返さない方が悪い。貸した方は悪くない」

「借り手の返済能力・意思・人間性を見極めずに貸した」という点で貸した側にも落ち度がある。「相手を信用し」「貸すことを決めた」のは貸した側の選択であり、その選択結果には自らが責任を取る(借りた側が返済能力を高める支援をする、返済を待つ等する)のが筋。

 

「隙があるから痴漢される。痴漢される方も悪い」

例え電車内でどんな淫らな服装をしていようと「痴漢してOK」の合図ではない。「痴漢するか否か」は痴漢する側が決める事であり、行為の原因は100%行為した側にある。

痴漢以外のあらゆる行為も同様。被害者側にどれほど酷い非や落ち度や弱点や欠点や欠陥や問題があったとしても、それらは「加害行為の原因」ではない。

 

「痴漢を誘惑した原因がある。誘惑した方も悪い」

誘惑した側には「誘惑した行為の原因」はあるが、どれほど誘惑されようとそれを口実に痴漢する決定をしたのは痴漢行為者自身。

 

「鍵を掛けなかったら泥棒に入られた。掛けなかった方も悪い」

鍵を掛けていないことは泥棒OKを意味しない。掛かっていようといまいと「不法侵入するか否か」「窃盗するか否か」は泥棒が決める事。泥棒に入られた原因は「泥棒自身が入ることを決めたから」であり、泥棒行為の原因は100%泥棒の側にある。被害者から見れば「泥棒された」のは結果論。鍵を掛けないことは油断や落ち度とは言えるが、「泥棒行為」とは無関係。

 

「物騒なのだから鍵を掛けるのが当たり前」

全体主義的な同調圧力の典型。皆がしているからという理由では義務は発生しない。施錠を警察や周辺地域が喚起するのは、専ら自分たちの余計な仕事を増やさないため。本当の意味での犯罪の未然防止、即ち真の解決に至るための「精神を病んだ者の早期発見・早期治癒」には役立たない。

 

「人を見たら泥棒と思え」

人間観察力と想像力の未熟な者が自己防衛のために陥りがちな性悪説。

 

「夜道を一人で歩くから襲われる。夜道を一人で歩く方が悪い。海外では常識」

いつどこをどう歩こうと原則として個人の自由。自由を侵害する側に問題があるのであって、侵害される側に転嫁ししかも治安の悪い海外に合わせるのは本末転倒。加害者目線に迎合している限り、問題解決は遠のく。

 

「ならば露出狂も表現の自由。不快感を他人のせいにして規制する方がおかしい」

不快感は自己責任だが、「他人の裸体を見ない自由」「無理に裸体を見せようとする行為を規制する自由」もまた表現の自由であり保障される。そのための規制。結局はその時々の社会通念に基づいた自由概念に従って制限されることになる。当然、民度が高ければ高い程、自由度は(反規制側に)高まる。

 

「レイプビデオを見て触発されたと犯人が述べている。つまりレイプの原因はレイプビデオ」

理由・動機・切欠と原因は異なる。犯罪の真の原因は「犯罪者の思い込み・勘違い・心の病・精神的未熟・人格障害」。強姦ビデオは強姦嗜好者の性的欲求を満足させ実際の強姦行為に対する意欲を下げるため、寧ろ規制しない方が強姦は減る。

規制は「教育行政の怠慢・責任放棄」即ちを一層常態化させ、却って「人権概念や性概念の未熟な者」を蔓延らせる。実際、性概念が未熟な者ほど性的羞恥心が強くビデオ類を規制したがる。

 

「犯罪を促すような情報を見て模した者がいる。犯罪の原因はその情報を流した者にもある」

どんな情報もそれをどう解釈し応用するかは得た者が決める事。犯罪行為の原因は常に100%その「行為者の心の病」にある。未然防止の観点からある程度の規制はあって然るべきだが、「規制すれば十分」では、真の原因である「行為者の心の問題・教育の改善改良」がおざなりになり、結果いつまでも似たような事件が発生し続ける羽目になる。

 

「刺青やタトゥのある者は大衆浴場やプールへの入場を制限すべき」

事勿れ主義的な排他主義。刺青に対する恐怖や不快感の原因は、それを感じる者自身の持つ固定観念・先入観・偏見。刺青のせいにするのは筋違い。

 

「不良や暴走族やヤンキーやチーマーや半グレは社会のクズ」

家庭環境や容姿や才能や人間関係に恵まれず、社会不信を募らせ生きる目標や将来の夢が無く、一時的に不貞腐れ自暴自棄になり、気の合う仲間と刹那的快楽に現実逃避しているだけ。一人ひとりは素直で明るくひょうきんな子供が多い。

惨めな自分が嫌で馬鹿にされたり苛められたりされたくないから、髪を染めマスクをしサングラスを掛け道路に唾を吐き肩で風を切り大股で歩くなど虚勢を張ることで自己防衛する。

子供の問題は大人の問題。クズなどと批判し排他すれば、却って(自分を肯定し愛せるようになるために)アウトローに憧れる子供に育つ。彼らに不足しているのは愛。彼らを批判する者も同様。

 

「社会から暴力団を無くそう」

「団」は不要で「暴力を無くそう」が正しい。暴力的問題解決を肯定する(テロに依存する)人が社会にいるから、暴力団の存在価値が高まる。人々の中にある「暴力に依存する精神構造」を無くすのが先。

暴力団員は人々に恐怖を与え、そこから逃れるための対価を得ることで自分たちの生活を営む、謂わば反社会性人格障害者。他の犯罪者同様、彼らに必要なのは非難・排除ではなく救済・治療。

 

「グレるのは自業自得。家庭環境が劣悪でもまっすぐに成長した者はいる」

結果論。DNA・成育環境・人生経験は一人一人異なるので「劣悪だった」という漠然とした基準で単純比較はできない。グレなかったということは、当人にとってはその程度の劣悪さでしかなかったということ。

 

「個人の問題を社会の問題にするのはおかしい。そんな態度は個人を甘やかせるだけ」

個人の能力には限界があり、個体差など生得的な不平等がある。社会問題を個人に矮小化する態度こそ社会を甘やかせる。

 

「誰もがやりたいことをやる社会では犯罪が横行する」

人間不信に基づく性悪説。やりたいことが「犯罪の未然防止」の人もいる。犯罪は「やりたくないことを日頃やって(ストレスが溜まって)いる人間」がするので、寧ろ横行しなくなる。

 

「オウム真理教事件は未だ原因が解明されていない」

主張者が不勉強なだけ。一連の事件は、日本の教育水準が低く知識偏重で哲学・心理学を軽視した結果、論理的思考力・メディアリテラシー・問題解決力が乏しい頭でっかちが量産され、新興宗教やオカルト・テロリズムに対する批判的思考力が欠如したため、起こるべくして起きた事件。

 

 

 

 

Ⅱ 自殺に関するよくある勘違い

 

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「自分がいると皆が不快・不幸になる。生きてるだけで迷惑なので死んだ方が良い」

あらゆる自殺願望・希死念慮の原因は思い込み・勘違いによる一種の精神疾患。その洗脳状態から脱し心の健康を取り戻すことを何よりも優先すべき。他人の不幸や不快の原因は感情自己責任論で既述の通り「それを感じる人自身の固定観念」であって、他人にはない。自分には他人を不幸にする能力があると思うのは、寧ろ傲慢。

 

「自殺するしか問題解決の方法が無い」

視野狭窄と思考停止と論理飛躍によって生じた錯覚。他の問題解決法について無知なだけ。折角、宇宙の片隅にある星の上の高度文明の下に知的生命体として生を受け様々な経験を得る機会に恵まれたのに、その幸運を自ら放棄するのは愚の骨頂。

 

「精神的苦痛から逃れるためには自殺するしかない」

一部の先天的精神疾患を除き精神的苦痛の原因は、本人の思い込み・固定観念・自分ルール。内観し己を知りその勘違いに気付き発想を変えれば、精神的苦痛(思い込みが見せる幻想)は失せる。

 

「他人に相談するのは弱い証拠」

プライドや面子に拘って他人に相談できないことこそ、弱く無能な証拠。真に強く能力ある人間は、他人を利活用することを躊躇しない。

 

「脆く無能な人間は死んで良い」

赤ん坊は皆無能。人間は誰でも何かしらの可能性を秘めている。その価値は現時点での特定の能力の有無では決まらない。

 

「事業に失敗した。借金返せない。多くの人に迷惑を掛けた。自殺するしかない」

失敗は成功の糧。その経験の持つ潜在的価値は金銭に換算できないほど貴重。問題を分析して教訓を後世に伝え続けることこそが償いになる。経験を活かさなければ社会が似たような失敗を繰り返す羽目になるので、却って迷惑。

金を貸すと決めたのは投資者の選択であり、返って来ないのは相手の返済能力や経営状態を見極めずに貸した側の自己責任でもある。その結果責任(負債や迷惑)は、貸した各人が負担するのが筋。

 

「家業を自分の代で手放すのは先祖に申し訳ない」

職業選択の自由。子孫が家業を必ず継続しなければならない決まりなどない。商売の内容や手段は時代とともに移り変わるもの。先見の明が無かったのは普遍的な経営哲学や教訓を祖先が残してこなかったせいでもあるのだから、自分だけを責める必要はない。

 

「既に伝えるべきは伝えた。やるべきことはやった。だから自殺して良い」

命ある限り生きてできるだけ多くの人に伝え続ける事こそ、やるべきこと。

 

「借金を返す為に体を売るか臓器を売るしかない」

性概念・経済観念・人権概念の未熟さから生じた思い込み。自己破産するなり会社更生法・民事再生法等の適用を受ければ済む。「自分さえ良ければ後世でどうなっても良い」というエゴに囚われた者ほど、己の現実逃避(借金からの解放)を優先し社会の未熟・機能不全を放置する。

 

「自殺は責任の取り方の一つ」

自殺は、後始末を他人に丸投げし自分だけ楽になる自己中心的な行為で無責任の極み。生き恥を晒す勇気や屈辱に耐える覚悟のない臆病者による現実逃避であり、責任逃れの最たるもの。「死んでお詫びを」「死ねば許される」は甘え。

自殺願望は精神的疾患の一症状。必要なのは非難・放置ではなく保護・治療・カウンセリング。

 

「Aという外的状況起こり、それを理由に自殺した。Aがなければ自殺していないのだから、自殺の原因はAにある」

この場合、Aは「原因」ではなく自殺の「理由・動機・口実・言訳・条件」である(原因帰属錯覚)。外的状況が何であろうと自殺の原因は「自殺者の精神疾患・心の弱さ・未熟さ・柔軟性の無さ・思い込み・勘違い」にある。

故に全く同じAを体験しても自殺しない者もいる。実際、適切で十分な教育を受け高い人権概念や問題解決力を培った者は、同じ状況下でも希死念慮どころか自己否定感すら感じない。

原因をAと短絡すれば自殺防止策が「Aの排除」止まりとなる。すると、本来の(全自殺に共通する)原因である「自殺者の思い込みに対する是正・矯正法の確立や正しい知見の伝授」が疎かになる。その結果、同様の状況Aになるたびに自殺の発生を繰り返すことになるので問題の根本的解決にならない。

 

「凄惨な人権侵害を受け、我が子が自殺した。自殺の原因は人権侵害者や、事態を放置した教育機関や労働環境にある」

事前に適切十分な人権教育を受け問題解決力を鍛えた者であれば、どれほど過酷な人権侵害を受けても自殺念慮はおろか自己嫌悪すら抱かない。「死ねは解決する」という暴力肯定主義を教えた、若しくはそれに対する批判的思考力を教えなかった主たる教育者(多くの場合、保護者)にこそ、子供が「問題解決力が低く精神的に脆弱な人格」に育った責任と原因がある。

とは言えそのような指導しかできなかった保護者や心無い人権侵害者もまた、低水準教育の犠牲者。結局は「国が施す教育が低レベル」に帰着する。

 

「誹謗中傷を受けて自殺したのだから、自殺の原因は誹謗中傷した者にある」

前後即因果の誤謬。誹謗中傷と自殺は因果が別。自殺の場合、その加害者は被害者自身。誹謗中傷を止められない精神的未熟者や人格障害者にも言論・表現の自由はある。彼らに必要なのは処罰や非難ではなく、論理的思考力・メディアリテラシー・精神治療・カウンセリング。

 

「自殺幇助は本人を苦痛から解放するので善行」「自殺を止めるのは苦悩を長引かせるので却って非道」

偽善。厳格な条件下の尊厳死・安楽死は別として、精神的苦痛や経済的困窮の場合は他に幾らでも解決策はある。安易な自殺幇助は、問題の根本にある「自殺願望者への対処などの社会的機能不全状態」を助長する。

 

「死にたい・自殺したいと言う者ほど自殺しない」

言わない者と比べれば自殺率は高い。この手のセリフは統計リテラシーの乏しさの自己証明。

 

「無理心中や拡大自殺は迷惑。死にたければ一人で死ね」

通常、人は”本人至上最大級の苦痛”から解放されるために殺人に至る。「一人で死ね」は、そうした当事者の苦しみ・絶望感に対する共感力・想像力・心配り・思いやり・同情心・愛が欠乏した感情論に他ならない。

また「死ねば解決」という発想は思考停止・論理飛躍・視野狭窄から派生したテロリズム(暴力肯定主義)であり、死刑賛成派にも通じる同属嫌悪・偽善。道連れ殺人を計画している人格障害者の耳には届かないばかりか、却ってその狂暴性を高める可能性がある。つまり、この主張者のように人々が無関心で冷酷であればあるほど、その反映として通り魔やテロが発生する。

自他殺以外の手段は常に存在する。必要なのは、適切十分な保護観察・隔離・精神治療・矯正教育・更生プログラム等。殺人が正当化されるケースは、安楽死・尊厳死や緊急避難・正当防衛など極一部に限られる。

とは言え「一人で死ね」「一人で死ね等と言うな」はいずれも表現・言論の自由の範疇。各発言者がどの程度の人権意識・倫理観念・道徳心・先見性を持っているかを量る指標として利用すれば良い。

 

「夜逃げは卑怯」

いつどこへ引っ越すかは個人の選択の自由で、他人に告げる義務はない。夜逃げせざるを得なくなるほど追い込んだ側の自業自得。

 

「暴飲暴食や喫煙その他の薬物依存は自殺ではない」

徐々に身体機能を失わせる、長い時間を掛けた緩慢な自殺行為。

 

「戦争に参加することは自殺行為ではない」

集団的殺し合いに参加するのだから殺人行為であり自殺行為。無事に誰も殺さず帰還したとしても、それは結果論。

 

 

 

 

Ⅲ ストーキングによくある勘違い(以下、セクハラや痴漢等と読み替えても同じ)

 

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「愛があるからストーキングをする」「ストーキングも愛情表現のうち」

自分本位で相手の立場を尊重しない行為は自己愛・エゴの発露。相手への愛ではない。

 

「相手が嫌がっていてもストーキングするなら愛ではないが、相手が望む(知らない)なら愛」

ストーキングとは相手の嫌がる(望まない)行為なので、定義上「相手が望む(知らない)ストーキング」はあり得ない。

 

「ストーキングすることで相手に愛が芽生えることがある」

そうなるなら、それはストーキングではなく求愛。相手が恐怖や不安や嫌悪を覚えるのがストーキング。

 

「ストーキングの多くは可愛さ余って憎さ百倍の復讐心理。被害者側にもその事態を招いた原因がある」

過去に如何なる仕打ちを受けようと、ストーキングして良い理由にならない。仮に罵倒されたとしても、罵倒し返す権利が自動的に発生する訳ではない。何もしないという行為も含め選択肢は無限にあり、ストーキングするしないを決めているのは100%ストーカー側。

犯罪の原因は常に100%加害者にあり、被害者側にはない。いじめや痴漢、レイプ、窃盗その他あらゆる犯罪も同じ。

 

「ストーキングされるのはそれだけ私が魅力的な証拠。美しさは罪」「今まで私をストーキングしてくれるほど好意を寄せてくれた人はいない。貴重」

本人がそう思って済むのであれば、それはストーキングではない。

 

「ストーキングかどうかは被害者の受け取り方次第なので、ストーキングの原因は被害者」

被害者にあるのはあくまで「ストーキングと自らが判断した原因」や「恐怖等を感じた原因」。「ストーキング(と第三者に客観的に判断された)行為」自体の原因は常に100%行為者・ストーカーにある。

 

「される側の感性がおかしい(被害妄想だ)から、ストーキング行為と見做される。被害者側の感性を変えるべき」

第三者が客観的に「迷惑だと感じても止むを得ない」と判断すればそれはストーキングと見做される。従って、全く同じ行為であっても時代や地域や判断者によってストーキングか否かは変わる。

 

「好きな人ならOKなのに嫌いな人ならNGになるのは差別」

確かに一種の差別だが、それが恋愛・結婚というもの。内心・思想・信条・信仰の自由の範疇であり規制できない。なお人種差別等が非難されるのは「集団と個人の区別がついていない」等その非論理性故であり、「個人を特別視」する恋愛・結婚は非難に値しない。

 

「感情は自己責任だから、ストーキングされて怒りや恐怖を感じても自業自得。公権力に訴えるのは矛盾」

前半は正しい。被害者の恐怖や嫌悪や怒りの原因は、被害者に100%あり自己責任。しかし感情が自己責任であることは感情表現を規制することと同一ではない。恐怖や怒りを表明することも裁判に訴えることも表現の自由の範疇。

「恐怖や怒りが自己責任であること」と「現行制度を利用し公権力に訴え損害賠償を請求する権利を行使すること」とは矛盾しない。矛盾するのは「恐怖や怒りを表現の自由の範疇を超えた形で表現」した時で、ストーキングを含む多くの犯罪がまさにそれ。

 

 

 

 

Ⅳ 麻薬に関するよくある勘違い

 

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「梅酒ビール発泡酒ウィスキー日本酒ワイン焼酎は、麻薬ではない」

全て謂わば“合法麻薬(麻酔薬)”。砂糖や塩、油、調味料等も量によっては依存症を引き起こし遂には死に至る毒物・麻薬。

 

「精神安定剤や抗うつ剤は良いモノ、覚醒剤や大麻は悪いモノ」

いずれも薬物であり、良いか悪いかは「言葉、車、馬鹿、ハサミ」などと同様、使い方次第。元来、物質は”全て毒”であり(毒でない物質はこの世に存在しない)、適量を超えればそれが何であれ健康を害する。

 

「麻薬は一度手を出したら止められなくなる」

使い方や精神的依存度・肉体的相性による。一度で満足する人もいれば一度で(その副作用に)懲りる人もいる。

 

「大麻はゲートウェイドラッグだから規制すべき」

根拠がない。仮に大麻が「より強い薬物への移行を促進する」なら、ニコチンやアルコールにも同じことが言える。そもそも人が麻薬に溺れる原因はその人の精神的未熟にあり、ドラッグ等の物にはない。

 

「薬物は嗜好品にはなり得ない」

ニコチンを含む煙草やカフェインを含むお茶やコーヒーは、既に嗜好品。取扱いに長けてない者が誤った使い方をすれば薬にも毒にもなる事は、睡眠薬やアルコールが示す通り。

 

「麻薬を使うとどうなるかは子供に教えない方が良い」

症状が現れるメカニズムや人体への影響・副作用等、その詳細を知識として徹底的に教えた方が良い。そうしないと却って中途半端な知識を持った者が好奇心や虚栄心から手を出したり、洗脳用具としてカルトに利用されたりする。

 

「麻薬常習者は死刑にすべき」

と主張する者は、そう主張することで快楽を得ているいわば脳内麻薬常習者。自己投影による同属嫌悪。麻薬関連犯を死刑にする国は概して民度が低い。

他の犯罪者同様、彼らに必要なのは排他や懲罰ではなく救済や矯正・カウンセリング。

 

「薬物使用者が関与した芸術作品等は公開すべきではない」

罪を憎んで人を憎まず。個人の仕事とプライベートは別。

 

「中毒症状や依存症は薬物特有の現象」

腹が減ればイライラし、携帯電話依存症になれば夢中になって人身事故を起こし、恋をすれば嫉妬に目が眩み時に相手を殺し、金に溺れれば終には強盗することもある。これらも全て立派な中毒症状。物に原因は無い。全ては心の問題。

 

「依存症になるのは本人の自己責任」

全ての人間が自由意思を100%発揮できるものではなく、精神的に未熟な者ほど周囲に流され本人の意思では動かせない部分が多くなる。回復力や忍耐力も、全ての人間に等しく能力がある訳ではない。依存症に陥るような環境や依存症患者を放置すれば、そのツケ・結果責任は社会が負うことになる。

 

 

 

 

Ⅴ 家庭内暴力/DVに関するよくある勘違い

 

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「暴力で問題が解決することもある」

暴力は問題を解決せず、却って潜在化・長期化・陰湿化・複雑化させる。暴力は問題解決力の乏しい無能者の甘え。「自分が楽になるために本質から目を逸らし問題解決を遠ざける行為」に他ならない。

 

「被害者にも落ち度がある」

落度はあっても原因はない。加害行為の原因は常に100%「加害者の心の未熟さ」。落ち度や非や欠陥などの被害者の問題を自己正当化に利用するのも、加害者の未熟さの表れ。

 

「暴力・虐待ではなく体罰。躾の一環」

教育や躾に体罰は不要(別記「体罰に関するよくある勘違い」参照)。体罰や虐待は加害者側の忍耐力・指導力の無さの表れ。

 

「愛のある暴力もある」

暴力は「愛の不足」の発現。愛があるなら暴力を振るわない。言葉の暴力、即ち暴言も同じ。

 

「他人の家庭問題に行政が口出すべきではない」

人権保護は行政の最重要業務。

 

「暴力も表現の自由」

他者の表現の自由を侵害するので自由ではない。但し、暴言については、侵害(不自由・不快・恐怖)と感じるのは解釈者の自己責任なので、それが鼓膜を破る程の騒音でない限りは表現の自由。

 

「暴力肯定者の要求には全て応じるべき」

これは暴力に屈するに等しい。「ストレス発散目的の妄言」は、自分の器量と度量を試すチャンス。クレーム処理等と同様、相手の気が済むまで主張させ一言一句を真に受けずにその主旨を把握するのが定石。

相手に憤りを覚えているうちは、相手に表現の自由を与えていない証拠。「そんな言葉は使うべきでない」などの価値観に執着して相手に不自由を与えているから、自分も不自由(イライラ)を感じる(作用反作用の法則)。

 

「暴力肯定者の要求に一切応じるべきではない」

これも交渉力の乏しい無能者の逃げ口上。暴力に屈するに等しい。もし相手の自由を奪えば相手はより一層、物理的暴力に訴えるようになる(犯罪の多くがそうしてエスカレートする)。

 

「非暴力主義は理想論。それこそ暴力に屈したも同然」

暴力に依存することこそ「暴力に屈した」状態。相手と同じレベルに立っていては解決はしない。

 

「子供が親に暴力を振るうのは家庭が呪われているから」

子供の非行の原因は、親の精神的未熟(視野が狭い、学が無い、偏見持ち、我儘、内弁慶、過保護・過干渉又は無関心・放任主義、児童障害や児童心理に疎い等)。親自身のこれまでの行いの結果であり、身から出た錆。

子は親の鏡。親の考え・人生観をそのまま反映する。自我が未発達な分、その鏡の反射率は高い。親が変われば、徐々に子供も変わる。「変わるべきは相手だ。自分が今苦しいのは相手のせい、悪霊のせい」等と楽な考えに逃げているうちは、問題は解決しない。

 

「暴行者は鈍感で不真面目だから他人に対する共感力がない」

暴力者に対する共感力がない者の自己投影。寧ろ、デリケートで神経質で真面目な人ほど暴力に訴える。神経が図太い人や鈍感で不真面目な人は、元々あまり物事に執着しない。

 

「理解しない相手が悪い」

誰しも理解力や表現力には限界がある。暴力は「心の悲鳴」。「もうこれ以上自分を苦しめないで」というメッセージ。不器用で自己表現が下手な者ほど依存する。こうした本心を読み取る知恵と愛が必要。

解決の鍵は、愛(思いやり、想像力、個性の尊重)。相手の努力や能力に期待することはエゴであって愛ではない。相手の愛の不足や未熟さを非難するのも愛の不足・未熟さの表れ。

 

「同じことを何度でも根気よく伝え続ける事が大事」

何度も同じ台詞を言うと、相手によっては馬鹿にされていると感じる。伝えることよりも大事なことは、相手の話を聞くことである。

 

「相手が興奮して聞く耳を持たないので、大声で怒鳴るしかない」

相手が興奮している時ほど、静かに諭すべき。相手が強く拒絶するのは痛い所を突かれた証拠。言動を真に受けず、真意を推察することが大事。例えば「うるさい!黙れ!」と相手が言ったら、「十分、分かっているからもう言わなくていい、それよりこちらの言い分を聞いて欲しい」等と脳内変換するのが妥当。

 

「感情は自己責任だから、暴力には暴力で対応して良い」

その対応は自己責任が取れてない。矛盾。

 

「乱暴者は暴力を楽しむ脳内麻薬中毒者。社会のゴミ」

暴力は過大なエネルギーを消耗し疲労困憊するため、加害者本人もできれば面倒を避けたいと考えている。それでも暴力に訴えるのには、それなりの理由・背景がある。

そうした諸事情を汲み取って上手く対処すれば、「折衝力・交渉術・対話法」等を学ぶことが出来る。全ての精神的未熟者は、自己研磨に役立つ体験を与えてくれる貴重な存在と言える。

事態が上手く運ばない時は、まだどこかに足りない部分・学ぶべき事柄がある証拠。試行錯誤とチャレンジ精神で乗り越えれば、それまで見えなかった景色が見えてくる。

社会のゴミだと蔑視・差別するのは逃げ口上の典型例。自分が楽になりたいだけ。

 

「公的機関に頼るのは家の恥」

公的機関を利用せずに問題を隠蔽・放置し拡大させる方がよほど恥。殺人事件の半数は家族や知人間で起こる。「たとえ身内でも犯罪は許さない」という断固たる態度が未然防止に繋がる。

「家族だから」「私も悪いから」「加害者は病気だから」「世間体が」「他人様に迷惑が掛かるから」などと言い訳せず、僅かでも脅迫・器物破損・傷害・暴行等があれば通報した方が良い。一度、警察の聴取を受けるだけで大人しくなる者もいる。そうした公共サービスを受けるために納税しているのだから遠慮は無用。

 

 

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「検討中思索中勉強中休憩中検索中勘案中募集中待機中」